2月8日(日)から13日(金)まで、韓国に行ってきました。今年はじめて実施した比較文化学科の「韓国スタディツアー」です。経済学部教授・林博史先生のゼミと合同で、比較文化学科からは大内憲昭先生と学生諸君が5名(うち1名は現地で合流)、それから私。「韓国スタディツアー」の成果は、このホームページにアップ予定の『比較文化通信』に載るはずですから、そちらに譲ります。私が取りあげるのは「いただいた本の話」。手元に集まったパンフレットを見ながら、あれこれ考えた感想です。パンフレットは本? 拡大解釈、お許しください。

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独立紀念館(10日)、ナヌムの家・日本軍「慰安婦」歴史館(同日)、西大門刑務所歴史館(11日)、戦争と女性の人権博物館(同日)、独島体験館(12日)、アジアの平和と歴史教育連帯(同日)。パンフレットを見学順に並べてみました。どうでしょう、韓国旅行の定番スポットはひとつもありませんね。ですが、みな日本語のパンフレットが用意されていました。なぜ日本語のパンフレットが用意されているのでしょう? それは、日本人に読んでほしいからに他なりません。書かれたものは読む。そこには〈書いたひと〉がいて、〈伝えたい相手〉がいるのです。

独立紀年館 キョレの塔(400)
独立紀念館 キョレの塔

さて、ここから見学先の展示史料に話がとびます。見学した施設には、日韓両国の文献が数多く展示されていました。文献の年代は幅広いし、性格もさまざま。韓国の文献といっても、ハングル制定前は漢字ばかり並んだいわゆる漢文です。くずし字で書かれた日本の古文書もありました。私はハングルはわかりません。けれども、幸いなことに、江戸文学を専門にしているおかげで、くずし字や漢文でしたら、いくらかわかります。ゆっくり読んでいる時間はありませんでしたが、「大体こんなことが書いてあるんだな」ということはわかりました。

ナヌムの家(400)
ナヌムの家

そして、さらに話は未来へとびます。100年後、いや50年後でもいい。漢文やくずし字を、だれも読めなくなってしまったら、どうなるのだろう――と。考えすぎでしょうか。国語の教科書には、漢文が「一応」載っています。ですが、勉強の優先順位は低くなりがち。くずし字にいたっては、大学の学部レベルでは扱うのが難しく、大学院になってやっとといった状態。むしろ、社会人向けに「くずし字を読む」講座が盛んと聞きます。漢文もくずし字も、未来はけっして明るくないのです。

書かれたものは読む。そこには〈書いたひと〉がいて、〈伝えたい相手〉がいるのだから――日本語のパンフレットもくずし字の古文書も漢文の文献も、このことに違いはないと思います。「国際文化学部で、何で昔の日本の勉強をするの?」とご不満の諸君。書かれたものは、まず読んでみよう。そうして、何百年も前に生きていた〈書いたひと〉〈伝えたい相手〉を想い描いてみてはいかがでしょうか。

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最後になりましたが、通訳にガイドに、大活躍だった韓信大学校日本学科の皆さんに心より御礼を申し上げます。