今年は学生の皆さんによるシェイクスピアの上演が第60回に達し、先日これを祝う記念講演会が行なわれました。高名なシェイクスピア学者で自ら朗読や様々なスタイルの出演の実績もある荒井良雄先生の講演は本学の教員や学生の皆さんはもとより、外部からの聴講者にも感銘を与えたようです。私も最初に簡単なご挨拶を申しましたが、ここでもう一度シェイクスピアについて述べさせていただきます。
今期、学生の皆さんが上演する『夏の夜の夢』は妖精の世界も巻き込んだ楽しいラブコメディーですが、最後の方の第5幕の冒頭でアテネの大公シーシアスが語る内容が示唆的です。アテネの森での4人の恋人たちの顛末を聞き、職人たちの拙い素人芝居見物を前に、彼は昔語りや妖精物語などは信じないと否定的に語り始めながら、その内容はロマン派にも通じるイマジネーション論から詩人論に移っていきます。

The poet’s eye, in a fine frenzy rolling,
Doth glance from heaven to earth, from earth to heaven;
And, as imagination bodies forth
The forms of things unknown, the poet’s pen
Turns them to shapes, and gives to airy nothing
A local habitation and a name.

詩人の目は、微妙にも狂乱的に揺らぎ、
天上から地上を、地上から天上を眺める。
そして想像力が知られざるものの外形を
心に描くにつれ、詩人の筆は
それらを形あるものにし、空気のように何もないところに
はっきりとした形象と名称を与える。(第5幕、第1場, 12-17)

 ところで、イギリス・ロマン主義時代の始まりは、しばしば、詩人ワーズワスとコールリッジが出会い、互いの才能に感銘し、親交する中で共同出版に至った『リリカル・バラッズ』(1798)にあるとよく指摘されます。これについては私も最近の文学部紀要に書きましたが、詩人ワーズワスのみならず、彼の妹ドロシーもコールリッジの人となりに感銘を受けます。そして彼女はやがて兄と結婚することとなる幼馴染のメアリ・ハチンスンにあてた手紙の中で、コールリッジが ‘The poet’s eye, in a fine frenzy rolling’ を持つことを伝えるのです。
この、『夏の夜の夢』からの何気ない引用は、彼女らが日頃いかにシェイクスピアに親しんでいたか、様々なフレーズを暗記するほどよく読み込んでいたかと推測させるものです。
400年前の1600年前後に活躍して沢山の名作を生み出したシェイクスピアは、17世紀の清教徒革命時代こそ英国で上演を禁じられますが、その間も読み継がれ、また王政復古後は新しいスタイルでの上演が始まり、改作上演の目だった18世紀から、200年ほど前のワーズワスやコールリッジの時代にも観るより読まれ、また想像力説などの文学論にも影響を与え、20世紀の映像時代に入り更に観られるようになりました。
明治以降アジアの東端の日本においてもシェイクスピアはもてはやされ、遂には60年余り前にわが関東学院でも学生の皆さんにより上演されるようになり今日に至っているのです。この長きに渡る文化を欧米と共有していることを寿ぎ、改めて12月の公演を楽しみたいと思います。
英国ブリストルの町にある、ワーズワスとコールリッジが1795年に初めて出会った場所と推定されている、ジョージアン・タウンハウス。