教員紹介

国際文化学部教員コラム vol.205

2019.05.17 比較文化学科 八幡 恵一

学生の「重さ」について

 学生を指導するにあたって最近よく考えるのが、学生の「重さ」です。もちろん、重さといっても体重のことではなく、学習指導における学生の「動かしやすさ」、あるいは「導きやすさ」のような意味です。
 比較文化学科では、二年生から「ゼミナール(ゼミ)」、つまり少人数制の専門教育が始まります。学生は一年生の終わりにゼミを選択し、二年生になると、選択したゼミでそれぞれの教員から専門的な指導を受けます。ゼミにおける教育や指導の内容は教員によって異なりますが、私の場合は、アカデミック・ライティングやプレゼンテーションを中心に、〈知識の使い方〉を学ばせています。ゼミでは、何か新たな知識を授けることはせず、学生がよそで得てきた知識をどう使うか、どう伝えるかをみて、その効果的な方法をさまざまな手段で指導しています(ですからよそで勉強をしてくることが前提となっています)。たとえば、学生によるレポートのピアレビューやビブリオバトルなどを行っているのですが、そこで感じるのが、先ほどの「重さ」です。
 私は、ゼミであれそのほかの授業であれ、学生にできるだけ自主的に学ばせるにはどうすればいいかを考えながら指導しています。そのとき、どんなに励ましても、あるいは逆にしかりつけても、一向に自分からは学ぼうとしない学生を(あまりよい言い方ではありませんが)「重い」学生と呼んでいます。要は「腰が重い」ということなのですが、最近は、こと学習に関して「重い」学生を、いかにして動かすかをつねに考えています。「重い」学生は、これまで勉強でいい思いをしたことがなかったり、たんに勉強が不得手であったりするのですが、そういった学生をどうやって自発的な学習に導くか、ということです。ごつごつした大きな岩を削って丸くし、目の前に転がりやすくできるだけ角度のある舗装された道をつくり、あとはとにかく押す、というのが、教育に対する最近のイメージです。
 もちろん、どれだけやってもまったく動かない学生もいますが、重かった学生が「動いたな」とか「転がり始めたな」と思うことが最近は多々あり(何気なく薦めた本を学生が読んできたときなど)、さらに、もとが重いだけあって転がり始めるととことんまで進む者、周りを巻きこんで転がっていく者がいたりして、この静と動が徐々にあるいは一気にいれかわる瞬間が、ゼミや授業のひとつの楽しみになっています。
 ゼミでは、知識にせよ情報にせよ学生に対して何かを「与える」というよりは、「動かす」とか「転がす」というイメージで(あくまでイメージですが)、しばらくは教育の方法を考えていこうと思います。
 
 
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