ヴィクトリア女王のダイヤモンド・ジュビリーのイラストと記事を載せた、ニューヨークの「ハーパー・ウィークリー誌」の表紙とイラストの掲載頁。実際の115年前のパレードのモノクロ映像を、オフィシャル・HPのスクラップ・ブックに見ることができます。

 さて、私の手元にある「115歳の紙」には、1897年のイギリス史上初のダイヤモンド・ジュビリー、「ヴィクトリア女王即位60周年」の祝賀パレードの公式プログラムが記されています。
イギリスの古書店で数年前に入手して以来、本に挟んだままでしたが、日の目を拝ませてあげられるのは今しかない、ということで引っぱりだしてきました。
それにして何とも不思議な紙だと思いませんか?ご覧のように、文字の周りをぐるりと囲んでいる動きのある図柄といい、カラフルな色合いといい、実に可愛らしいのですが、どういうわけか日本人が描かれています。
左の画像の下中央の(拡大画像では右下の)、丁髷、着物姿で荷車を引く男以外は、みな自転車に乗っています。紋付袴にブーツ姿の男性もいれば、短髪に洋装の青年、競馬のジョッキーのような服装の少年に自転車を引かせる着物姿の女性、自ら自転車をこぐ着物姿の女性もいます。日本では、昭和初期になっても女性が自転車に乗る姿は珍しかったといいますから、この紙が作成された明治30年に、このような光景を、実際に日本で見ることはなかったでしょう。この図柄には、当時のイギリスの自転車ブーム、そして世紀末に登場した、自転車を乗りまわす、新しい価値観を持つ行動的な女性——「新しい女性」(new woman)像が、投影されているようにも思われます。
 それにしても、一体なぜ、イギリス王室の祝賀式典のプログラムに、このような日本的なモチーフが用いられたのでしょう?使われている紙は和紙に見えますが、和紙なのか?洋紙なのか?日本とイギリス、どちらで制作されたものなのか?疑問点ばかりが浮かんできます。用途としては、パレードで、誰がどのような順番で行進してくるのか分かるように、沿道の見物人に配布されたものではないかと思いますが、現在、販売されているロイヤル・グッズのような土産ものだったかもしれません。
紙自体については、さてどうやって調べたものか? 漠然と考えていたときに、図書館にあった「紙博だより」に書かれた「ちりめん本」の記事に気づきました。私の紙も、もしや「ちりめん紙」なのでは?と思い、東京都北区の王子にある、「紙の博物館」を訪ねてみました。
「紙博だより」の記事を執筆されていた学芸員の平野さんは、「ちりめんの皺の寄せ方はかなり雑ですが、これは日本のちりめん紙でしょう」と断言して下さいました。その根拠として、この紙が、和紙の技法で漉かれていること、西洋のクレープ紙はもっと厚みがあること、これほど薄い紙を漉く技術が西洋になかったこと、綿から作られる西洋の紙には見られない木の樹皮らしきものが、この紙に入っていること、などを挙げられました。
また、刷りの技術についても興味深いお話しを伺うことができました。周りの図柄部分には「浮世絵」の技法、中央の文字には「活字印刷」の技法、王冠と両隣のヴィクトリア女王像には「銅版印刷」の技法が用いられているように見えること。使用されている赤色や紫色が、明治以降に出回った廉価な浮世絵、錦絵に、多用された赤色にそっくりだということ。外国から入ってきたこの赤が、当時、大流行したことなどです。
印刷技術については、「印刷博物館」に行けば、もっと詳しいことが分かるだろうということでしたので、急遽、飯田橋にも足を運びました。印刷博物館の学芸員の山口さんのお話しから分かったことは、浮世絵の木版や活字の活版は凸版印刷であり、銅版は凹版印刷だということです。さらに、一枚の紙を印刷するのに、凸版印刷と凹版印刷という異なる技法を使うことは、効率が悪いうえ、費用もかかり、現実的ではないということ。見たところ、ヴィクトリア女王の胸像と王冠は、銅版印刷ではなく「木口木版(こぐちもくはん)」の可能性があることなどを、ご指摘いただきました。木口木版は、凸版印刷の技法の一つで、木を輪切りに切り出した表面が堅い版木に彫刻するので、銅版印刷のような出来映えになるそうです。実物を常設展で拝見しましたが、確かに銅版印刷に似た繊細な仕上がりでした。
明治時代に外国への土産物として人気があったという「ちりめん本」については、児童文学などの観点からかなり研究が進んでいるそうですが、この「ちりめん紙」を輸出した特定の製紙業者を突き止めることは困難で、使われた印刷技術についても、明確な結論にたどり着くことはできませんでした。しかし、一枚の紙のルーツを追って行く過程は楽しいもので、新たな興味が次々と湧いてきました。
幕末から明治にかけて、日本から大量に流出した着物の型紙と、欧米に吹き荒れたジャポニズム旋風との密接な関わりに注目した展覧会、 KATAGAMI Styleについて別のコラムで触れますが、115歳のこの和洋折衷のプログラムは、19世紀末のイギリスにおけるジャポニズムの浸透ぶりを、顕著に物語っているといえるでしょう。