教員紹介

国際文化学部教員コラム vol.227

2021.02.05 比較文化学科 八幡 恵一

フランスの思い出その2

 なんとなく、私は暑かった時期のフランスの記憶があまりなく(実際は夏に40度を超えた日を経験したこともあったのですが)、思い出されるのは寒かった時期のそれこそ寒々しい出来事ばかりで、いまのような季節になると、空気の冷たさに刺激されてそういった出来事の記憶が蘇ってきます。
 そのような出来事もおいおい書いていこうと思いますが、今回は前回の続きで、フランスに留学して住む場所を見つけるまでになにがあったかを書いてみたいと思います。前回のコラムで、出発直前になって住む場所がなくなってしまったことを書きました。その後、出発までの数日のあいだにインターネットを駆使して寮やアパートを探したのですが、結局見つけることができずにパリに向けて発つことになりました。着いても住む場所がないわけですから、出発の際はこれ以上ないほど不安で、いまでも、パリまでのフライト含め移動の最中のことを思い出すと暗い気分になります。飛行機で隣席だった日本人のおじさん(お仕事でたしかパリ経由でベルギーに向かっていました)に事情を話して励ましてもらったことだけが唯一いい思い出です。
 幸いにも、同じ時期に留学する友人が先にパリに着いており、またかれは私も応募して落選した寮に住むことができていたため、しばらくその友人の部屋にやっかいになることにしました。やっかいになるといっても、あくまで学生寮で部屋も狭かったため、その友人に寝袋を借りて床で寝ていました。大学の登録が迫っているにもかかわらず住むところがないことに相変わらず不安はありましたが、その寮には世界中から集まったたくさんの学生が住んでおり、またキッチンなどは共同だったので、つたないフランス語でかれらとコミュニケーションをとりつつ、留学がはじまったことを実感して感慨にふけることで、少しだけ不安が和らいでいたように思います。その寮ではのちに面白いことがたくさんあったので、これもべつの機会に書いていきます。
 さて、住む場所ですが、その後も色々なつてを頼りに探し続けたのですがなかなか見つかりません。そんななか、とあるSNS(当時はまだSNSという言葉がいまほどなじみ深いものではありませんでしたが)の、フランスの情報が寄せられる掲示板を見ていたら、パリ郊外で日本人に部屋を貸したい方がいるとのこと。すぐに希望を出したところ、ほかにも多くの候補者がいたのですが、身元がいちばん確かだったからか、私がまず案内してもらえることになりました。当時はとにかく家探しに夢中であまり実感がなかったのですが、振り返ってみると、このことが留学中の私の一番の幸運だったように思います。
 場所はパリ東の郊外、ヴァンセンヌの森の外れのところでした。具体的な地名は書きませんが、セーヌ川に連なるマルヌ川のほとりで、静かでのんびりとした住宅街です。その住宅街に住むフランス人のマダムが、自宅の車庫を改造した部屋を代々日本人に貸しているそうで、そのときそこに住んでいた女性が近々日本に帰国するため、つぎの入居者を探しているとのこと。場所はパリの中心から少し離れていましたが、とにもかくにも住む場所を決めなければならなかった私は、早速、その方と大家のマダムに会いに、ヴァンセンヌに向かう電車に乗りました。すでに9月下旬に入っており、大学が始まるまで二週間もない、もう空気が冷たくなり始めていた時期だったと思います。(続く)
 
 
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