教員紹介
伊東 光浩

伊東 光浩

担当科目

母語論1・3(日本語教師養成課程)、日本語Ⅰ-1(留学生対象)、  日本文化論、日本の言語文化Ⅲ

氏 名 伊東 光浩 (イトウ ミツヒロ)
所 属 国際文化学部比較文化学科
学部担当科目 母語論1・3(日本語教員養成課程)、日本語Ⅰ-1(留学生対象)、日本文化論、日本の言語文化Ⅲ
専門分野 国語学
最終学歴 中央大学大学院文学専攻科博士課程後期
より詳しい経歴  研究者になろうと決意したのは大学の3年生、ちょうど夏休みの終わる 「あきのかぜふく」 頃だったと思います。とにかく勉強が一番おもしろかったのですね。今でも時々、学生に、学問するということは、〈世界〉そのものを、前へ前へと、進めるといういとなみなのであるゾヨ、などと、のたまうことがありますが、この考えは当時から変わりません。〈世界〉を着実に前に進めることのできる唯一のいとなみこそが、(〈政治〉や〈経済〉ではなく〈宗教〉でもなく、ましてや〈音楽〉などでもなく、やはり)〈学問〉であるのだ、と私は確信しています。
 20代後半にはすでに教壇に立っていました。1つの高校(中大附属高校)、2つの短大(目白学園女子短大・国士舘短大)の非常勤講師を経て、ちょうど30歳の時に関東学院(女子短大)の専任(講師)、その後助教授、さらに関東学院大学(現在の職場、比較文化学科)に移り、教授に、という道のりを経て今に至ります。短大の時代が長かったのですが、教員歴は、はや20年以上です。
 専門の言語に関する学、の観点から、「〈世界〉を前に進める」べく、研究の日々がこれからも続きます。
研究テーマ 和漢比較語義研究
日本語の文法・語誌についての理論的並びに歴史的研究
研究テーマの
説明
和漢比較語義研究 について
 本研究は、古代漢語としての漢字の字義を、その日本的使用の実態と比較検討することで、両者の間に存する意味上、用法上の〈ずれ〉の様相を把握し、さらに、そのことの〈わけ〉を国語の中にさぐってゆくことを通して、古代日本語の実相を、より鮮明に浮かび上がらせてみようとする国語史研究における新たな方法の試みである。 

 などといっても、なかなか、わかりませんよね。
日本語の文法・語誌についての理論的並びに歴史的研究 について
 「令動」(万葉集1606)という表記が国語「うごかす《し》」を表すための表記様式として、当時、(相応の社会性を持ちつつ)行われていたのだとするならば、その際の「令」字に託された文法上の機能については、やはり、問題にしないわけにはゆかないものと思われる。 といったような問題意識(たとえば)にもとづく日本語の研究。
 といっても、上に同じく、ですよね。

 関心のある人は下記の論文2,4,5など(すこしむずかしい)を読んでください。私の論文を読んだ受験生が入学してきたらきっと私は感動します。1と2は、学生時代の論文です。

主要業績 1,「万葉集167番日並皇子殯宮挽歌における『世者』訓読についての試論」
(『中央大学國文』26号、1983)
2,「使役表現の意味構造」 
(『中央大学國文』28号、1985)
3,「使役を表さない『令』字の用法-日本書紀に於ける不審例」
(『生活文化研究』8号、2001)
4,「『さ』入れの構造」
(関東学院大学文学部比較文化学科編 『比較文化をいかに学ぶか』、明石書店、2004)
5,「すだれうごかし あきのかぜふく-和漢比較語義の試み」
(『築島裕博士傘寿記念国語学論集』、汲古書院、2005)
より詳しい業績  論文4の書き出し・・・・・・

 「祝電を読まさせていただきます」、「こちらでやらさせていただきます」、「一曲歌わさせていただきます」、、、、、、等の言い方がある。私の知人にもこの種の物言いを、意識的に〈選択〉しているふしのある方がおられるが、それほど気にならないという方も多いらしく、壇上からの挨拶、などといった場面では、これらに類する物言いが極めて頻繁に観察されるように思う。
 「意識的」とはいっても、恐らく、その意識というのは、俗に「勘」「第六感」などと呼ばれるような、分析的な自覚をほとんど伴わないレベルのそれなのであって、現実の使用局面における、発話者達の意識というものは、総じて、「反射神経」的ではあろう。しかし、自覚的ではないながらも、そこには、発話者によってとらえられた現実の人間関係(上下関係)に対応する、言語レベルでのなんらかの積極的配慮(待遇意識)が胚胎しているように、私には感じられるのである。

 といった感じです。これくらいなら、わかると思いますが、どうでしょう? 

メッセージ  受験生へ  大学進学を目指す皆さんには、真理への道を歩んでいただきたい。「勇気」をもって。真理とは換言すれば窮極の説得力ということです。人の生き方でいえば、それは、ほかの誰にも生きることのできない、あなただけの命をひたすらに燃やし続けることだ、ということになりましょう。なお、「勇気」と括弧で括ったのは、本人はそれを勇気だなどと微塵も思ってはいないという意味を込めたかったからです。勇気とは、蓋し、評価の問題なのです。まわりの人びとの。個の追究が、普遍につながってゆく、そんな、表層の矛盾を突き抜けてゆくような生き方ができるとよいと思います。
 学部生へ  あなた方が、与えられた自由の中で、日々、どのような選択をするかということ、それ(その蓄積)によってしか、あなた方は他人による評価を受けられないわけです。自分にしかできないぎりぎりの(つまるところ、一流の)選択を、日々することです。そうして、3年の秋までには、卒業後の身のふり方を決めておきましょう。それと、他人の目(鏡)に映った自分の姿を、よーく見ること。とても大切なことです。
ゼミの内容  卒業後、日本語の教育に、なんらかのかたち(たとえば日本語学校の教師)でかかわりたいと思っている学生たちに対する日本語(教育)研究のお手伝い、というのが私の本学における最も重要な仕事のひとつです。したがって、私の担当するゼミは、まず、何はさておき、そうした目標を持つ学生たちに対して開かれていなければならない、と思っています。次に、教えるという目的からではなく、純粋に日本語に関心を持つ学生もいます。たとえば日本語を勉強しにきた留学生たちです。留学生の中には将来自分の出身国に帰って、日本語を教えたいという希望を持つ学生もいます。また、日本人として、自らの母語に関心を持つ日本人学生もいます。このタイプの学生が今のところいちばん数は少ないようですが、私のゼミにはこのような3種類のタイプの学生たちがいます。外国人に日本語を教えながら大学院に通っている旧ゼミ生(留学生)もいます。
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