2017.11.22.
比較文化学科菅野 恵美

ビーチと漢代の石碑

 中国江蘇省の北部には、連雲港という都市があります。日本人にとっては孫悟空の生まれた花果山があると言えば親しみやすいでしょうか。港の東には、海を隔てて連島という離島が浮かんでいます。2017年の夏、私はちょうど連雲港市に滞在した折、この離島に漢代の石碑があるというので行ってみました。


※クリックで拡大

現在の連島には、植物園や保養地・ビーチがあり、これらを目当てに訪れる観光客がたくさんいます。私は海岸の看板群の中にあった「漢代の石碑」という印を頼りに、階段を歩き崖に沿って行きました。途中看板がなくなってしまいましたが、崖沿いの道は複雑に分岐しています。大分歩いてしまい、眼下の砂浜とパラソル、海水浴に来た人々の群れは消え、代わりに険しい岩肌と水平線まで見通せる海が現れました。
しかし漢代の石碑は見つかりません。道を間違えたことに気づき、慌てて引き返しました。半ば諦め、パラソルが置かれたビーチを目指して崖を降り始めました。

やがて砂浜とパラソル群が見え、降りて行こうとしたその時、道幅が広がり巨大な石碑が出現しました。浜辺を見下ろす崖の中腹にその石碑はありました。漢代の石碑と海水浴場のパラソル。何とも滑稽な組み合わせですが、大海に対峙し、波打つ岩壁に造られた石碑、と視点を広げるならば、雄壮な光景です。

さて、この石碑は紀元前1世紀末、漢代の郡(行政区画)の境界線を明示するために建てたものです。漢代当時、ここは今以上に大陸から離れた島だったはずで、これを建てた役人らは世界の果てに来たと感じたことでしょう。このような領土の際である離島にも、境界を示す石碑を建てた貪欲さ、あるいは気概に驚き、また感動しました。