2021.03.01.
比較文化学科八幡 恵一

フランスの思い出その3

 前回は、住む部屋が見つかり、大家のマダムと仲介人の方に会いにパリ東の郊外、ヴァンセンヌに向かうところまでお話ししました。ところで、当時、私はまだデジタルカメラをもっておらず、またいまのようにスマホで気軽に写真を撮るということもできなかったため(携帯にカメラはついていましたがフランスではまだ携帯をもっていませんでした)、残念ながらこのころについては写真が残っていません。ですが、そのせいもあってか、ヴァンセンヌの家やその家のあったマルヌ川のほとりの地区は、非常に美しい場所として思い出に残っています。もしまたフランスに住むことになったなら、その家でなくても近い場所に住みたいと思います。
パリ市内の友人の寮から郊外のヴァンセンヌの家までは電車を乗り継いで一時間もかからないところでした。パリは20区からなる市内を取り囲むように「郊外(banlieue)」が広がっています。この「郊外」という言葉は場合によってはよくない意味をもつこともあるのですが(とくに治安の面で)、ヴァンセンヌはその心配もほとんどない、非常に住みよい場所でした。最寄りの駅から徒歩10分ほどかけて教えてもらった住所に向かうと、二階建ての大家さんの家がまず見えており、その家に面してやや大きめの門がありました。門には「猛犬注意」の札がかかっており、ベルを鳴らすときにちょっと緊張しましたが、出てきたのはとてもかわいい白くて小さな犬でした。彼女(雌でした)の名前はフィフィといい、最初こそ少し吠えたものの、私にもすぐになついてくれました。ヴァンセンヌの家を思い出すと、まずは庭を元気に駆け回るフィフィの顔が浮かびます。
フィフィに続いて(というかフィフィを制しながら)、大家のマダムと、そのとき部屋に住んでいた仲介人の日本人の女性が出てきました。私はそのときまだフランス語の会話に自信がなく、きちんとコミュニケーションがとれるか不安でしたが、大家さんは日本人と話しなれているせいか、終始わかりやすくしゃべってくれ、また仲介人の女性もところどころで通訳のようなことをしてくれたので、なんとかなりました。それまでさんざん部屋探しをしてきて、賃貸契約のフランス語はおおよそ頭に入っていたこともあります。大家のマダムは非常にいい方で、その後ほんとうに何度となくお世話になりました。
気になる部屋ですが、早速、見せてもらったところ、小さいながらもきれいな中庭(日本庭園を模したそうで小さな桜の木が植えてありましたが、ところどころフィフィがうんちをしていました)を抜けた先にある、なんと二階建ての部屋でした。まえのコラムに書いたように、もとは車庫だったらしいのですが、匠も驚きのリフォームにより立派なアパートに生まれ変わっていました。フランスのアパートは家具がついているところがほとんどなのですが、その部屋にいたっては、机、ソファ、ベッドは当然として、テレビに洗濯機と乾燥機、さらに食器洗い機まであり、日用品をどこで買いそろえようか悩んでいた私にとっては、とても嬉しいサプライズでした。家賃も光熱費等込で550ユーロと比較的安く(当時で約8万円)、場所がパリ市内からやや離れていることを除けば本当に好条件で、その場ですぐに契約し、一週間後にはスーツケースをもって引っ越してきました。はじめてその部屋で過ごした日のことはよく覚えています。二階のベッドのすぐ上に天窓があり(二階は少し天井が低かったので天窓はすぐ目のまえでした)、夜、そこから星がよく見えて、ようやく住む場所が見つかったという安心感よりも、こんなにいい部屋に住むことができるのかという高揚感が勝って、なかなか寝つけませんでした。(続く)