教員紹介

国際文化学部教員コラム vol.234

2021.09.10 比較文化学科 八幡 恵一

フランスの思い出その6

 前回は、最初の一年で本当にお世話になったヴァンセンヌのマダムに別れを告げ、パリ市内のある学校の寮に引っ越しをしたところまで書きました。ここから二年をこの寮で過ごすのですが、本当に色々なことがあり、とくに面白くもないものまで覚えていることをすべて書くと、このコラム100回分は書けるだろうと思います。
 さて、今回から写真があります。いつだったかは覚えていないのですが、このもう少しあとの時期にデジカメを買い(何度もいいますが当時はスマホがありませんでした)、寮の写真もたくさん残っています。今回は、新たな住まいとなった寮の紹介を写真つきでしてみたいと思います。



 一枚目は寮の中庭から私が当時住んでいた建物を撮ったものです。この寮はちょっと特殊で、その学校の学生や私のような留学生が住む居住棟(写真に写っているもの)と、その学校に関係する教員や研究者の研究室がある研究棟、それから(いずれも小規模ですが)図書室や食堂、教室、講堂が、中庭を囲むかたちで併設されていました。寮というよりは小さなキャンパスという方が正確かもしれません。居住棟と研究棟はつながっており、とくに私の部屋はすぐ隣が研究棟で、朝うっかり油断した格好で歩いていて、早朝6時くらいから研究室で仕事をしている先生に見られて恥ずかしい思いをしたことがあります(ただその先生はいつも笑ってボンジューと言ってくれました)。
 この寮はとにかく家賃が安く、光熱費込みで一か月250ユーロ(当時で約4万円)、場所もパリ市内で治安も交通の便もよく、住みよい場所でした。しかし、写真をよく見るとわかりますが、建物は非常に古く、壁などあってないようなもので(住んでいる人はみな壁のことを「紙(papier)」と言っていました)、周囲の話し声や上階の足音はもちろん、隣人のおならの音が聞こえて悩まされる友人もいる始末で、正直、慣れるまで引っ越したことをかなり後悔しました。二年目は隣人がイタリア人で、かれは毎晩、電話で、夜中の二時や三時に母親らしき人と大声で話をする(なぜ母親とわかったかというと、電話の向こうの声も聞こえたからです)ため、ついには苦情をいれ、どちらも拙いフランス語でケンカをしたこともあります。シャワーやトイレはいうまでもなく共同(それも男女共同)です。キッチンも共同で、これはコミュニケーションの場になるのでよかったのですが、大きいとはいえひとつしかない冷蔵庫をみんなで使うため、たまに自分の食材が勝手に使われていたり、友人にいたっては、自分の食材が知らぬ間に調理され立派な料理になってもとの場所に置かれていたこともあったようです。



 二枚目の写真は、見ての通り猫です。寮には猫が何匹か住み着いており、そのうちの一匹は非常に人懐こく、人を見つけると走って寄ってきて、写真のようにごろんと横になります。かわいいですが、当時はいつも「あざとっ」と思っていました。
 この寮では本当に色々なことがあり、また多くの出会いがありました。同じ時期に寮に住んでいたフランス人、ドイツ人、イタリア人、中国人そして日本人や、その学校で日本語を学ぶためのパートナーを探していて交流が始まったフランス人、ちょっと変わったかたちで出会い、その後、日本でテニス仲間になったフランス人もいます。いずれも少しずつ書いていきたいと思います。(続く)


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