2022.06.01.
英語文化学科村岡 美奈

ニュージーランドでの学校生活

 個人的な体験の話になりますが、私は小学生の5、6年生の時、ニュージーランドのオークランドに住んでいました。日本で通っていた小学校には、メキシコ、フランス、韓国、スリランカ出身のクラスメイトがいましたが、今度は私が「外国人」としてニュージーランドの学校で学ぶことになりました。日本人学校に通う選択肢もありましたが、現地校に通わせたいという父の強い希望があったため、わけもわからないまま現地校に通うことになりました。
初めは意思疎通をとることが難しかったのですが、仲良くなった友人たちのおかげですぐに英語が話せるようになり馴染むことができました。また、生徒の甲乙をつけたり競い合わせたりするカリキュラムが少なかったことも幸いして、完璧な英語が話せなくても皆と一緒に楽しく学ぶことができました。
日本での国語、算数、生活にあたる授業もありましたが、体育では、日本の小学校ではおそらく体験することができないクリケット(cricket:イギリス発祥のスポーツ)をしました。また、セーリングの授業もあり、モーター付きの小型ヨットの操縦方法を学びました。10時半ごろには中休みとしてティー・ブレイク(tea break)の時間が設けられていました。果物や野菜などのブレインフード(brain food: 脳に良い食品)をとることが推奨されていましたが、好きなお菓子も食べることができました。お昼はお弁当を持っていくこともできましたが、登校した際に注文をしておくと、ミートパイやアップルパイなどが届くシステムになっていました。修学旅行では、ニュージーランドの先住民であるマオリ(Māori)の文化と豊かな自然について学びました。
時間が経った今、振り返ってみると本当に良い経験をしたと思います。それはここまでに記してきた楽しい思い出だけではなく、辛かった思い出も含めてそう思います。というのも、実は辛い思いもたくさんしました。意地悪をする人はどこにでもいますが、私が初めて肌の色が違うことで差別を受けたのはニュージーランドにおいてでした。アジア圏の言語の声調を真似てはからかうクラスメイトもいました。私は時々、母が作ってくれたおにぎりを学校に持って行きましたが、当時は日本食が世界的に流行する前だったので、黒い海苔をからかわれることも多々ありました。クラスには執拗に意地悪をしてくる女の子が1人いました。彼女には体を押されることがありましたが、身長もずいぶん違い、私には立ち向かえる勇気がなかったので、ずっと我慢していました。しかしある日、私は勇気を出してその子を押し返してみました。その結果、なんと取っ組み合いのけんかになってしまいました。(注意をしておきたいと思いますが、これまでの人生で取っ組み合いのけんかをしたのはこの時だけです)しかも彼女の圧倒的な強さに負けてしまいました。(当時、私のなかでは少林寺拳法の映画が流行っていたので、ひょっとしたら私も弱くないかもしれないと思ったのですが…)
私は常日頃から母に、意地悪なことを言われても言う方が悪いんだから無視するんだよ、と教えられていました。また、当たり前のことですが、やられたらやり返すというのも乱暴も良くないことです。しかし、この時ばかりは自分のために立ち上がれたことを心からよかったと思います。取っ組み合いのけんかにはなってしまったのですが、このあと、彼女からのいじめはピタッと止まりました。この時、きちんと主張をしないとわかってもらえないこともあるのだと文字通り身をもって学びました。
私の体験談はあくまでも子ども時代の話です。皆さんも海外で差別に直面したり理不尽な思いをしたりすることがあるかもしれません。状況によっては、それに反応することで自分の身をさらに危険な状況に導いてしまうこともあるかもしれません。例えば、人通りのない暗い通り、地下鉄、キャンパス構内、そして相手が知らない人であった場合には、間違いなく無視するのが一番です。私も大人になってから、ボストンの地下鉄で横に座っていた高齢の女性に突然殴られそうになったことがありますが、その時の反応は素早く立ってなるべく離れたところに行く、でした。しかし、もし大学のクラス内など安全な環境のなかで、不当な扱いや差別を受けたら、自分のために立ち上がる勇気を持つことも大切です。言うまでもありませんが、言葉で対処しましょう。