教員紹介

国際文化学部教員コラム vol.143

2015.10.23 比較文化学科  大越公平

雪形探訪 ― 利尻山の「猫の顔」と「枠船(わくぶね)」

雪山(35)
【今年の雪形探訪】
 日本の最北端に位置する稚内、礼文島、利尻島を歩く旅は、海と島が作り出す見事な自然の景観を眺め、新鮮なウニや昆布の美味を楽しむ旅です。夏季休暇等に旅した人も多いことでしょう。
 今年の初冠雪はいつになるのでしょうか。大雪山系の旭岳ではすでに9月29日(火)に初冠雪が観測されたそうです。9月30日(水)現在、利尻町のライブカメラによれば、利尻山(利尻富士)は初冠雪を迎える直前のようです(利尻町ホームページhttp://www.town.rishiri.hokkaido.jp/kankou-annai/)。昨年の初冠雪は、観測史上もっとも早く、9月17日に記録されました(利尻町:利尻山登山情報)。初冠雪は自然暦における冬支度のための一つの目安です。また、利尻山が「来年の雪形」を作り始めるときです。今年以上に綺麗な雪形がみられますよう願わずにはいられません。
 
 前回の「教員コラム」(1月23日)では、笠ヶ岳(岐阜県)の雪形を取り上げ、5月には利尻山の雪形探訪の予定をお知らせしました(http://kokusai.kanto-gakuin.ac.jp/column/column-1085/)。毎年のことですが、土曜日、日曜日のわずかな滞在期間での雪形探訪は、晴れの日が保証されているわけではなく、雲がかかっていることもあり、雨の日もあり、雪形を見ないで帰途につくこともあります。今回も、案の定、利尻島に到着した5月9日(土)は、雲がかかり、山の裾野しか見えていない状態でした。そこで、神頼みの策として、深夜に花火をあげ、明日が晴れてくれるようにと祈願しました。私一人ではなく、雪形探訪の目的で集まった個性的な人びと、国際雪形研究会のメンバーが精一杯の願いを天に向けて送りました。このミニ花火大会が功を奏したのでしょう、翌朝は見事な晴れ。一安心です。さあ、雪形探訪に出掛けましょう。
 
写真1
写真1 利尻山の残雪
 
 5月10日(日)午前9時、どこに猫顔の雪形があるのでしょうか。山がはっきり見えているのに、雪形は、まだ、見えません。この斜面に見えてくるはずですが。もう少し西へ移動しましょう。
 例年のことですが、雪形ファンの熱気には圧倒されます。今年は62名が参加。雪形の出現を毎年のように気にしているファンがこんなにも多くいるのかと驚かされます。島内をバスで一周し、少しずつ変化していく山容を車窓から眺め、雪形を探しました(参考:「第20回雪形ウオッチング―北海道利尻―」国際雪形研究会2015)。
 
雪山(35)
【雪形伝承】
 『広辞苑』第六版(電子辞書)には、雪形とは、「山腹の雪の消え具合によってできる形。→雪占(ゆきうら)」、雪占は、「山や野に消え残る雪の形によって、農作業の時期を測り、また、その年の豊凶を占うこと。山の名は雪占に因んだものがある。」と説明されていますが、現在はこの言い伝えを実際に受け継いでいる人は少なく、生業暦としての役目をすでに終えています。近年、地球温暖化等の気候の変化により雪形が現れる時期は、多少の違いがありますが、自然の観察に関心をもつ人びとにより、思い思いの「雪形」を発見する「新たな伝承」として受け継がれています。エコツアーの一例といえるでしょう。
 
 利尻山の雪形は、「猫顔」と「枠船」。東日本の多くの山の雪形は、農作業の開始を知る農業暦です。
田起こしや田植え、山入り(山菜採り、森林伐採)等の開始の目安とされてきたものが多いのです。しかし、利尻島の雪形は、漁業暦で、ニシン漁に関する伝承をもとにしたものです。雪形に関する古典、『山の紋章-雪形―』(田淵行男学習研究社1981)には、北海道南部の雪形が二つ紹介されています(279-280頁)が、当時は利尻山の雪形についての情報が集まらなかったようで、掲載されていません。その後、多くの研究者が探訪し、その報告から、現在では、この雪形が「最北の雪形」として知られるようになりました。キツネの顔にも似た猫顔は4月ころに現れ、6月半ばまでその姿がみられます。
 
 山頂とその近くにあるローソク岩を「双耳」に見立て、頂上直下の斜面全体が「顔」です。画像の円で囲まれた箇所ですが、そのように見てもらえるでしょうか。観察できる地域は、ごく限られた地域で、現在の空港付近、その海岸付近、本泊(もとどまり)の湊やその沖合だそうです。雪解けが進み、やがてニシン漁の終わりのころには、「猫顔」も惜しんで涙を流すという説明さえありました。斜面の残雪の一部が涙の形に見える時期があるということでしょうか。「枠船」に乗った漁師が見つけたものが伝承されているのでしょう。現在、ニシンの回遊は少なくなり、この浜辺は昆布干しの場所として利用されています。今では、直接の伝承は消え、民俗誌や雪氷調査研究報告に残されているだけです。
 
写真2
写真2 利尻山の雪形
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写真3
写真3 利尻町立博物館に保存されている「枠船」
 
 ニシン漁に使われていた枠船の一艘は、現在、利尻町立博物館の屋外に展示されています。展示解説には、「枠船」は、鰊の建網漁で使用された船の一つであり、「起こし船」と対で使われるものでした。鰊が建網に入ると、起こし船に乗った漁夫らによって網が起こされていき、枠船の船底にまわされた袋状の大きな網に鰊が流し込まれていきます。網が一杯になると、それら大量の鰊を岸近くまで枠船ごとに運搬するために、起こし船よりも大きく、頑丈にできていたとされます(利尻町博物館展示解説の一部)。とあります。枠船の船底にまわされた網に沢山のニシンが入り、豊漁となる様をこの残雪の形(雪形)に託したのでしょう。当事者がこの場所でのみ発想したものであり、多くの人びとと共感できる形とはいえません。首を傾げる人は多いのですが、漁師の間で語られた漁期の目安であり、ユニークな漁業暦として伝承されています。
 
 かつてのニシン漁で仕事唄として歌われていたソーラン節は、大規模な漁が行われなくなった現在でも、若い人びとの勇壮な演舞にその名が受け継がれています。札幌で毎年開催される「YOSAKOIソーラン祭り」には、ゼミナールのメンバーの二人も本学のクラブの一員として参加していますし、ゼミナールの卒業生が卒論やゼミナール研究のテーマとしてこの活動を取りあげたこともありました。
 
雪山(35)
【ニュー雪形】
写真4
写真4 利尻島姫沼
 
 伝承された雪形だけでなく、探訪者の一人一人が思い思いの形を発見し、オリジナルな「ものがたり」を作る試みがあります。私は、この国際雪形研究会に参加して、この試みを教わりました。いささか強引であり、賛同する人もいれば、首を傾げる人もいて、さまざまな受け止め方がありますが、新しいアイディアに触れる雪形探訪の一つの楽しみでもあります。私も姫沼から利尻山を見ながら、頂上付近の残雪に一つの場面を想像してみました。画面の中央、それに左から右に向かって移動し、「猫の顔と枠船の雪形を見たよ」と伝える人とその仲間、画面の右には、「そう、晴れていてよかったね」と迎える人びと。研究会のメンバーには、同様の「ものがたり」を描いた人がいたかもしれませんが、誰もが納得するものとはいえません。とりあえず、私だけの想像の世界を楽しんでいます。
 
写真5(400)
写真5 残雪の形にオリジナルなストーリーを描こう。
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雪山(35)
【来年の雪形探訪に向けて】
写真6
写真6 利尻山遠望
 
 帰路、利尻島から稚内へ向かう船の甲板からは、観光パンフレットで見た写真のような画像が撮れました。この残雪模様には、沢山の雪形がありそうですが、現在、わずかに2つの雪形伝承が知られているだけです。少し意外です。あるいは、この他にも語り継がれているものがあるのかも知れません。これからも地元の方々に聞書きをしていきましょう。
 
 日本列島を北上してきた桜前線がようやくこの最北の地域にたどり着き、利尻島でも、稚内でも、「有終の美」を飾る桜が咲いていました。
 
 来年の春も雪形に関心のある仲間と一緒に残雪の山々を眺めます。雪形探訪ファンにとって初冠雪はその準備を始めるときともいえます。当該の山に関する民俗全般について図書館の資料で学びます。少し気が早いのですが、来年のウオッチングでも、今話題の「妖怪」を思い起こさせるような数々のニュー雪形を若い人が見つけることでしょう。楽しい探訪になりそうです。雪形は新たな伝承としてこの先も長く語り継がれていくでしょう。
 
臼(35)
 本稿は、筆者が担当するゼミナールのメンバーに送信した「研究室のこよみ(2015 年7月7日 旧暦5月22日 小暑 七夕)」をもとに、夏季休暇中に加筆したエッセイです。身近な文化事象に研究のテーマを探し、考察したことをオリジナルなレポートとして仕上げましょう。
(2015年9月30日)

(追記)新聞等の報道(10月1日)によりますと、「利尻山の初冠雪は9月30日」と稚内気象台からの発表があったそうです。来年も素敵な雪形が見られますように。
(2015年10月23日)
 
 
 
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