教員紹介

国際文化学部教員コラム vol.59

2011.12.02 英語文化学科 草山 学

「顔」で選んだ本

本を購入する前には内容をよく吟味するのが普通ですが、私はよく本のタイトルに魅了されて思わず買ってしまうことがあります。これを私は「顔で本を買う」と呼んでいます。もっと一般的には、「面食い的な本の選び方」と言えるかもしれません。話題の本を買うのもこの部類と言えるでしょう。
交際相手を選ぶときに私が面食いであったかどうかは別にして、そのようにして選んだ本の中には、(私にとっては)買って損したものもあれば、タイトル負けしないすばらしい内容のものもありました。しかし、後者のタイプの本に出合えることは、そうそうありません。ひょっとすると、タイトル(顔)が良いと、どうしても内容(性格)に対する期待度が高くなり、タイトル負けしがちになるからかもしれません。しかし、「顔」と「性格」の両方が良いと思える本に出合えたときには、それは常に「ときめき」を感じる、決して手放せない本になりえます。本棚においてただその本の顔を眺めているだけでも励ましや癒しが与えられ、手にとって何度読み返しても、新たな感動や発見をもたらしくれるからです。
そのような私にとって理想ともいえる本の一つに、オーストリアの精神医学者であるV・Eフランクルが著した「それでも人生にイエスと言う」という本があります。この本に出会ったのは大学生のときでした。卒論のテーマに関連する本を探すために寄った大学の本屋でこの本のタイトルに一目ぼれして買ってしまいました。当時、「プラス思考」に関する本がよく売れており、その影響もあってか、そのタイトルが自分の心にすんなりと入ってきたのを覚えています。
 この本は「どんな最悪な人生でも生き続ける価値があるのか?」という疑問に、著者のアウシュビッツ強制収容所での体験を通して答えています。私が衝撃を受けたのは、人生の意味論に対してこの本では逆説的な答えが提示されていたことです。「人生の意味とは」という誰もが一度は考えることがあるような疑問に対して、フランクルはその問い自体が無意味であると言い切ります。むしろ、私たちは人生から「問われている存在」であり、生き続けることによってのみ、その問いに答えることができるという発想の転換が必要であるというのです。これは単なる「プラス思考」を超えた究極の人生肯定論といえると思います。午前中に穴を掘って午後からその穴を埋めるという強制収容所の究極の無意味な状況においてさえ、YESといえる選択肢が私たちには残されている。ガス室で明日殺されるとしても、不治の病で一カ月後には死ぬことがわかっていても、就職がなかなか決まらないとしても、そのような現実に対してどういう態度を取るかという自由だけは奪われない。そこに人間の根源的自由があることを、著者は様々な事例をもとにわかりやすく説明してくれています。しかし、この本が提唱する理論の素晴らしさは、この著者がこの理論をアウシュビッツの強制収容所に収監される10年も前から公表していたという事実にあると思います。つまり、収容所での経験は彼の理論の正しさを経験的に証拠づけたに過ぎなかったということです。理論と証拠の両輪があったからこそ、彼の人生論には個人的な経験談を超えた普遍的なメッセージがあるのでしょう。
私がこの本の良さを本当に実感したのは、この本を購入してからもっと後のことでした。大学卒業後、私は大学院に進学しましたが、大学院を終えた後もなかなか定職が見つからず、自分の悲惨な状況を嘆き、「就職できなければ研究なんて何の意味があるのか?」と自分の選んだ人生を悔いていた時がありました。そんな時に、本棚においてあったこの本のタイトルがふと目にとまりました。それがきっかけで、この本を改めて読みかえし生き続ける力を得ることができたのです。
「顔」だけで本を選ぶことは確かにお薦めできませんが、その本の「性格」の良さがわかるまでには時間と経験を必要とする場合があります。だからこそ、最初は顔で選ぶのも、時には良いと思うのです。

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