教員紹介

国際文化学部教員コラム vol.116

2014.10.24 英語文化学科 島村 宣男

高校生の君へ

 本学 KGUに勤続して今年で満41年、5月に古稀を迎え、来年3月末の完全退職の日を待つばかりとなった私には満16歳になる孫娘が一人います。彼女は千葉県内の私立高校(男女共学)の一年生、そろそろ将来の進路が気にかかってもよい年頃でしょう。
 
 過去を振り返れば、高校生時代の私自身も同様の「悩み」を抱えていました。埼玉県の浦和市(現・さいたま市浦和区)に生まれ育った私の母校は今日なお「進学校」として知られる県立高校(男子校)です。校風は理系重視で教員スタッフも充実していましたが、それに比べて文系はいささか見劣りしたのも事実で、範とすべき文系教師との出会いは望むべくもありませんでした。
 
「なるようになる」――現在の私がそうであるように、結果的には自分の得意とする英語ということばの学び、すなわち「語学」の方面に進学することになりました。小学校6年からラジオ講座で英語の自主的な学習を開始した私にとって、英語の学びは全く苦にならなかったのです。さらに、中学時代に3年間を通して英語を教わったY先生は米国仕込みの英語の達人で、彼との出会いが私の基盤を形成しました。
 
 当時の私にとって、学校の「教師」、さらには「研究者」への道は最短のものだったのです。父の失職もあって我が家の経済状態は悪化、私の成人式に先立つ母の急逝、そして日中戦争を間に挟んで13歳も年上だった兄は風来坊、悠長に高望みをすることなど到底できませんでした。私にとって、優秀な志願者を集める難関大学も「浪人」してまで入学すべき場ではなかったのです。ただ、当時は国立大学の授業料は学部が年額6千円、大学院が年額9千円と、私立大学に比べて格段に安く、どう考えてみても選択の余地はありませんでした。
 
 地元の国立大学(教育学部)入学から東京の国立大学の大学院(外国語学研究科修士課程)修了まで、いろいろな意味で、私はひたすら「忍耐」の意味を噛みしめました。私の将来を決定づけたのは、大学院で出会った生涯の恩師S先生です。彼は「文献語学」(philology) の第一人者でした。日本全国で激化する大学紛争の喧騒をよそに、私は自分だけの、自分にしかできない学問に一心不乱に励みました。青春時代のこうした「辛苦」の体験が現在の私を生んだ、と言っても言い過ぎではないでしょう。
 
 人生の「苦しさ」に耐えることも、時に必要です。たとえ転んでも、自力で立ち上がることが大切です。「転ぶのは立ち上がることを学ぶため」なのですから。最後に、君にエールを送ります――「挫けるな!」
 
 
 
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