2012.07.06.
英語文化学科萩原 美津

「KATAGAMI Style展」訪問記・《前編》

 東京丸の内の三菱一号館美術館で開催されている「KATAGAMI Style—世界が恋した日本のデザイン—もう一つのジャポニズム」展に出かけました。(東京展は5月27日迄。その後、京都展、三重展が10月半ば迄つづきます)。 http://katagami.exhn.jp/
週一回通る道に貼られたこの展覧会のポスターに目を惹かれたのは、アール・ヌーヴォーの中心地の一つで、エミール・ガレの出身地でもあるフランス、ロレーヌ地方のナンシーを、この三月に訪ねた姪が「ナンシー派美術館は、日本的なデザインのものばかりだった。 膨大な数の日本の着物の型紙があるんだって!」と話すのを聞いていたから
かもしれません。
実は私は、着物の型紙を収集していたことがあります。    〈2010年4月に開館した三菱第一号館美術館。
全部で10数枚ばかりですから、コレクションというには      明治27年(1894)に、英国人建築家ジョサイア
大げさでしょうが、1990年代半ば頃、東京近郊の寺社で    ・コンドルによって設計されたレンガ造りの建物を
週末に開催されていた青空骨董市に、私はよくアメリカ人    忠実に復元しています。〉
たちと出かけていました。同世代の日本人の友人には
理解されない「渋い」趣味でしたが、イギリスへの留学から帰ったばかりの私には、この骨董市巡りは非常に楽しいものでした。
目の肥えたアメリカ人たちは、あれを買え、これを買え、 とアドバイスしてくれたものですが、その一つがKimono Stencil— 柿渋を塗った渋紙でできた「着物の型紙」です。「白い紙を入れて額装すると、とても綺麗よ」と言われ、最初の一枚を購入した時のことは、今でもよく覚えています。日本でこのような「型紙」に焦点をあてた展覧会が開かれるのは初めてだということですが、アメリカのシアトルでは日本の布地ステンシル展が1985年に開かれていたそうですから、今思えば、私の骨董市仲間たちは、「型紙」についてある程度の知識を持っていたのかもしれません。
このような個人的な思い入れとともにKATAGAMI Style 展に出かけたのですが、期待していた以上に得るものが ありました。「もう一つのジャポニズム」という展覧 〈高幡不動尊で入手した型紙〉                     会のサブタイトルから、フランスの展示品がメインだと予想していたのですが、「型紙」によるジャポニズムの源流は、イギリスに端を発していました。1862年のロンドン万国博覧会で展示された日本の造形が、産業革命以降、低迷していたイギリスの装飾美術や産業芸術に新しいデザインの風を吹きこみ、その後のデザイン改革運動へと発展していったのです。
江戸幕府がパリ万博に初出品したのは、1867年の第二回パリ万博でした(1855年のパリ万博では、日本の工芸品は、東インド会社を介してオランダの展示部門で紹介されていました)。佐賀藩と薩摩藩が出品した陶磁器の包み紙として使われていた浮世絵(Ukiyo-e)にパリの人々が驚愕し、後にゴッホやモネなどの印象派が生まれたという話はよく知られています。その後、ウィーン(1873)やフィラデルフィア(1876)、そして再びパリ(1878)で万博が開催され、ジャポニズムは世界を席巻していくのですが、「型紙」が、まずロンドンで見いだされ、その後のジャポニズム・ブームの火付け役の一端を担っていたということは新鮮な驚きでした。  《後半》へつづく。