関東学院大学金沢八景キャンパスの正門に入ってすぐ左手に「人になれ 奉仕せよ」という石が置かれています。関東学院初代院長の坂田祐が第1期生の入学式で述べた言葉で、大学をはじめとする関東学院の系列校の校訓となっています。着任した当初、この校訓にやや苦い思いを抱きました。なぜなら、「奉仕せよ」という言葉は、中国人の私には「為人民服務」(人民の為に奉仕せよ)という毛沢東時代(1949年社会主義中国の建国から1976年毛沢東死去まで)のスローガンを思い出させるからです。子供の時からこの言葉が街中や教室に溢れ、それを目標として人民の総体である国のために頑張ろうとしたものです。しかし、大学三年生の1989年に天安門事件が起こり、政府と人民解放軍が、大学生や市民を戦車や銃弾を以って鎮圧しました。この事件が私に大きな衝撃と価値観の崩壊をもたらし、人民のために奉仕するのはもう虚しいこととしか思えなくなりました。その後、新たな価値観を模索するように、日本語や日本文学を専攻する私は、日本敗戦後の喪失と頽廃の中に生きる人々を描いた太宰治『斜陽』について卒論を書き、中国で敗戦を迎えた体験をもつ佐野洋子の『100万回生きたねこ』を夢中に読みました。国王や船乗りの猫でもサーカスの猫でもなく、家族を愛することで「私」を生き切り、二度と転生しない「トラ猫」のように生きて行こうと思ったものです。

(2004年に中国で翻訳出版されている)

 ところで関東学院大学に着任して15年目を迎えた今は、私の心境が大きく変わり、心から「奉仕せよ」の必要性を認めるようになっています。なぜなら、「私」という個人が集団・社会というネットワークに生きるものであり、集団・社会をより良いものにしていかないと「私」もより良いものにならないからです。当たり前すぎることですが、人間らしさよりも他者や国家への奉仕が優先された時代に教育を受けた私の場合、紆余曲折を経てようやく手に入れた認識です。「人になれ 奉仕せよ」は、この組み合わせのどれか一方が欠けてもだめです。他者への奉仕の精神を備えた人間らしい人間へと成長することを目的とする本学の教育理念に、「その土台はイエス・キリスト也」という文脈を超えた普遍的な意味において、私は新たな感銘と確信を覚えています。

 長々とこのように書くのは、国際文化学部は2026年度から大きく変わるからです。現在の英語文化学科と比較文化学科の2学科を統合して国際文化学科とし、そこに英語文化コース、グローバル歴史文化コース、多文化協働コースを配置する、という教育内容の発展的改組が行われることになりました。前者の2コースは、それぞれ英語文化学科、比較文化学科を受け継ぐ形でグレートアップしていますが、多文化協働コースは新設され、文化的な背景の異なる人々がともに生きる現代の多文化共生社会に生じる様々な課題を解決するために、国際協力・開発、言語、教育による支援という三つの分野の課題解決型の学びを提供します。

 関東学院は横浜開港から間もなく創立し、140年以上の歴史を持ちます。本学のある横浜市は、港湾都市として古くから外国人が多く訪れ、様々な文化や背景を持つ人々が交流しながら発展してきた街です。国際文化学部は「人になれ 奉仕せよ」の理念のもと、人文学をはじめとする学問を基盤として異文化間の相互理解と多文化共生を促進し、グローバル化する社会の求めに応えるように、これまでは教育・研究を行ってきました。今後もこの原点を大切にし、地域と結びついた国際教育を行い、人間的教養と社会への奉仕精神を備え、社会貢献を行うスキルを身につけた人材を育成していきます。分断や複雑さが増す現代社会にとって真に必要な人、すなわち、排斥や孤立ではなく、他者の痛みに共感し、文化や立場の違いを乗り越えて対話と交流を通して実践的に問題を解決することができるリーダーを育てることを、4月の新学部発足を前に心に銘じます。新しい国際文化学部は、学びたい「私」が自立した「人」へ成長し、そして歴史的世界的奥深さをもつ「社会」へ貢献できるように、教育と研究を努力し続けていきます。

 (本稿は同窓会誌『さんよう』N0.71に掲載された「「人になれ 奉仕せよ」と新しい国際文化学部の学び」をもとにしています)