ネス川の河口を意味するインヴァネスは北スコットランド最大の町で、ハイランドの首都とも見なされます。その位置はネス湖から流れ出た川が大河となりマレー湾から北海に流れ出る所にあり、グレイト・グレンの終わる町でもありますが、同時に、さらに北に広がる北ハイランド地方の起点にもなります。人口は7万人弱ですが、西ヨーロッパで最も急速に成長しつつある町の一つで、間もなく10万を超えるだろうと見なされています。インヴァネスの中央を流れるネス川の東岸にはインヴァネス城がありますが、これは11世紀以来の砦の場所に1836年に建てられ、現在は州裁判所(Sheriff court)として使われていて、建物内部は非公開です。この川沿いには歴史的教会が数多くありますが、町を東郊外に出るとカロデンの古戦場や、シェイクスピア劇でその名が親しいコーダ城などがあります。

カロデンの戦いは、いわばスコットランドの関ヶ原のようなもので、名誉革命で追放されたジェームズ二世から3代にわたるスチュアート王家、ジャコバイツの王位復帰の試みが灰塵に帰する戦役です。現代でも荒涼たるカロデン・ムアは静かに広がり、ブリテン島最後の内戦があった場所とはイメージが湧きませんが、スコットランドのナショナル・トラストが管理する付属施設も雰囲気を壊さないような作りがしてあります。
さらに東にあるコーダ城は『マクベス』に出てくる城の名と同じですが、現存の城はクラン・キャンベルの伯爵城で、ほぼ現状まで整備されたのは王政復古以降のことのようです。シェイクスピアの『マクベス』はフィクションの部分が多いのですが、史実のマクベスは11世紀前半にダンカン王を殺戮後に王位に就きます。しかし彼がコーダの領主になったことはなく、この城自体が当時は存在しませんでした。シェイクスピア以降劇とのつながりが連想されるようになり、20世紀のジョン・キャンベル、第5代コーダ伯は、あの詩人があの忌々しい劇を書かなかったらよかったのにと嘆いたそうです。

インヴァネスを南に降ると、ケアンゴームズという国立公園があり、グレンコーと並ぶハイランドの山岳地帯に入ります。その中心地がアヴィモアで、近隣の山々の登山やトレッキングの中心地です。この地区の最高峰ケアンゴーム山も1245メートルの高さだそうで1344メートルのベン・ネヴィスとともにさほど高くはありませんが、北国のことで荒涼たる岩山は日本アルプス以上の険しさを感じさせます。この地区の谷間をA9道路沿いにさらに南下すると、ワーズワス兄妹がハイランドの旅の後半至った東端の地区、ブレア・アソールやダンケルドの町があります。

ブレア・アソールはクラン・マレイの古来の本拠地で、現代に至るアソール公の城があります。1803年の旅でワーズワス兄妹はこの城を訪問しますが、当時から現代に至り外壁の白塗りが特徴のこの城の風景を彼らは批判しました。兄妹はキルカーン城のような鄙びた景色の方を好んだようです。彼らはダンケルドまで至り、修道院の廃墟をやはり愛でますが、付近のバーナムには『マクベス』で示唆される森が当時すでにないと記録しています。この辺りは19世紀末になるとさらに観光地化し、ピーター・ラビットの作者ベアトリクス・ポターも幼いころ、湖水地方に親しむ前、夏の観光で毎年訪れたそうです。この後ワーズワス兄妹は行先に迷いますが、結局インヴァネス方面でもパース方面でもなく、すでに出会ったトロサックスの人々のホスピタリティーが忘れられず、カトリン湖方面に戻ります。この結果 ‘To a Highland Girl’ などの詩にも描かれる、スコットランドの人々との出会いをさらに経験しますが、その後はキャランダーからスターリングを経てエディンバラに向かいます。こうしてワーズワス兄妹は1803年のスコットランド旅行の最後にスコットとの出会いを果たすのです。

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インヴァネス城から見たネス川の川下とインヴァネスの町。

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カロデン・ムアの古戦場跡:旗が両軍対峙位置を示している。

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名前だけは『マクベス』を連想させるコーダ城

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ケアンゴームズのアヴィモアは登山、トレッキングの拠点。それぞれの道標がおびただしい。

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ワーズワス兄妹がその白塗りの外壁を批判したブレア城だが、フランスのシャトーのイメージか?

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ダンケルド修道院遺跡、半分は現役の教会。

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バーナムの森は町の背景か?

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パースのスクーン宮殿:シェイクスピアの『マクベス』でも即位の地であったが、エディンバラに首都が移るまではこの地がスコットランド国王の代々の戴冠の場所であった。

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フォース鉄道橋:フォース湾に鋼鉄の鉄橋が1890年に架けられ汽車が通るようになり、パースとエディンバラは近くなった。19世紀スコットランド産業革命のシンボルは今も現役の鉄道橋。

以上の写真全て安藤撮影、2014年8月