レストランやコンビニで「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」のように使われる過去形が日本語として正しいのか、間違っているのかという議論はずいぶん前からあるようです。「xx円からお預かりします」などと並んで「バイト敬語」の一つと言われ、インターネット上では賛否両論あるようですが、どちらかと言えば反対派が多いのではないでしょうか。「よろしかった」の使い方がよろしいのか、それともよろしくないのかは、時制を現在にするか、過去にするかの問題です。そして時制の選択には話し手の「心の様子」が映し出されていることがあります。
真夏の夕方にラジオから「今日は暑かったですね」と聞こえてきました。夕方とはいえ、まだ5時で、外は明るく気温も高いうえに、まだまだ仕事が残っている私には、まるで「今日」が終わってしまったかのようなアナウンサーの言葉にちょっと違和感を覚えました。では「暑いですね」と「暑かったですね」を使う境目はいったい何時なのでしょうか。どうやらそれは時間の問題ではなく、話す人が「今日」をどうとらえるかによるようです。今日が終わったと見なせば過去形が使われ、終わっていないと見なせば現在形が使われるということです。もしも私がその日の仕事を早めに終えて、5時にビアガーデンにいたとしたら、アナウンサーの言葉が気になることもなかったでしょうし、自分でも「今日は暑かったなあ」と言って、グッと一杯飲み干していたかもしれません。
どうやら言葉の世界は必ずしも客観的なものばかりではなく、時には人の見方が入り込むようです。それもそのはず、この世の中に起る森羅万象を記号(日本語、英語など)で写し取るのが言葉ですが、写し取っているのは言葉を発している人間なのですから。それでは、最初の「…よろしいでしょうか」と「…よろしかったでしょうか」には人のどんな見方が入っているのでしょうか。注文という行為は「今」しているのだから現在形がよいというのはもっともです。でも、お客さんが注文したのは確認している「この瞬間」より少し前のことでもあるので、(多少無理はありますが)「過去」のことと見なすことだってできます。同じレストランの会話でも、「ご予約はお二人様でよろしかったでしょうか」ならば、過去形を使ってもきっと違和感はないはずです。注文とは違って、予約はどう見ても過去の行為と見るのが適当だからです。
皆さんは「ありがとうございます」と「ありがとうございました」をどう使い分けていますか。今度自分で思わず発した「ありがとうxx」の言い方に自分のどんな「心の様子」が映し出されているのか、ちょっと気にかけてみると新たな発見があるかもしれません。