2013.01.18.
比較文化学科君塚 直隆

わたしの作業場①イギリス公文書館

私は近現代のイギリス政治外交史を専攻しておりますが、著作や論文を書く場合には、イギリス本国の史料館・文書館・図書館などを訪ね、「一次史料」を集めて、それを読み込んで自説を組み立てていきます。一次史料とは、研究対象の人物が実際に書いた日記、日誌、書簡、メモなどのことを意味します。イギリスの政治外交史を研究している人間にとって調査をする際に必須の場所、それが今回ご紹介するイギリス公文書館(The National Archives)なのです。
まずはその外観から見ていただきましょう。

とても文書館には見えませんね。ロンドン都心から南西部に電車で20分ぐらいのところに「キュー・ガーデンズ」という駅があります。王立植物園で有名な場所ですが、恥ずかしながら、私はこの植物園にはまだ行ったことがありません。同じ駅を使うのに、いつも反対出口の公文書館のほうに行かなければならないからです。
イギリス公文書館にはこれまで何十回と訪れたことがございますが、調査に行くたびに感心するのが、その日進月歩ぶりです。私がここを初めて訪れたのは今からちょうど20年前(1993年)のことでした。当時はこんなに綺麗ではなく、手書きで史料を請求してから出てくるまで何時間も待たされることがありました。しかし今では史料請求はおろか、閲覧席の確定もすべてコンピューターでできてしまいます。待ち時間も長くて15分です。 出てきた文書は自分の閲覧席の番号のついたガラス張りのロッカーに取りに行きます。下の写真は1831年11月にベルギーの独立を定めたロンドン議定書です。

会議の議長を務めたイギリスのパーマストン外相やフランス全権のタレーラン侯爵などの署名が御璽を押した隣に見えますね。会議での彼らのやり取りもすべて記録に残っています(詳しくは『パクス・ブリタニカのイギリス外交』有斐閣、2006年をご覧ください)。
文書館にあるのは外交文書だけではありません。下の写真は地図室で撮影したものです。

ロンドン北部のリージェンツ・パークを改造する際の完成予定図ですね。この公園はその名の通り19世紀初頭に「摂政(Regent)」を務めたのちの国王ジョージ4世の肝いりで改造されました(詳しくは『ジョージ四世の夢のあと』中央公論新社、2009年)。
下の写真は20世紀初頭の国王エドワード7世の葬儀の際の棺を置く台のデザイン画です。

この国王の死からわずか4年後に、ヨーロッパは第一次世界大戦に突入してしまいました(詳しくは『ベル・エポックの国際政治』中央公論新社、2012年)。
最後の写真は今から115年ほど前の冊子の表紙ですね。

昨年(2012年)はエリザベス2世女王の「在位60周年記念式典(Diamond Jubilee)」が大々的に行われましたが、1897年には高祖母ヴィクトリア女王が同じ式典を祝いました。1000年に及ぶイギリス史上で在位が60年を超えた君主はヴィクトリアが最初でした(詳しくは『ヴィクトリア女王』中公新書、2007年)。
このようにイギリス公文書館で様々な文書を紐解いて、イギリスの歴史について、書籍や論文を書いております。一見楽しそうですが、古い時代にはタイプライターさえなく、ヴィクトリア女王の「達筆」による書簡など、なかなか読むのに一苦労なのですよ。しかしそれを忘れさせてくれるぐらいに、私は自分の研究が大好きなのです。