イエス・キリストの教えを建学の精神としている関東学院大学では、毎週大学礼拝を行ない、学生の皆さんに聖書に触れていただく機会を提供しています。文学部では毎週火曜日の昼休みに、20分間という短い時間ですが礼拝をしています。関東学院大学に関係のある牧師、近隣の教会の牧師、外国からの宣教師、キリスト者である関東学院大学の卒業生、いろいろな方が大学礼拝に来てくださり聖書からお話しをしてくださいます。もちろん文学部のチャプレン(宗教主事)であるわたしも、これまでに何度も聖書のお話をさせていただきました。神がどんなにわたしたち人間を愛しておられるか、聖書はそのことを力強く語りかける書物だとわたしは信じています。ですから学生の皆さんに、大きくて力強い神の愛に触れていただきたい、そう思ってわたしはいつも礼拝で語りかけています。
聖書にこんな言葉があります。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。 あなたがたのところに戻って来る」(ヨハネによる福音書第14章18節)。これはイエス・キリストの言葉です。「わたしはあなたを孤独にはしない、ひとりぼっちにはしない」、そう語りかけておられます。何と心強い言葉でしょうか。
孤独は耐えがたいものです。そしてわたしたちの誰もが孤独を知っています。身近に家族や心許せる友人がいたとしても、その人たちが自分の気持ちをすべて知っているわけではありません。またすべてを理解できるわけでもありません。むしろ自分の方が誰にも知られたくないと思ってしまう、わたしたちにはそういうところがあるのではないでしょうか。誰にも見られたくないと思っている自分の姿、自分でも恥ずかしく思って目を背けている自分の姿を、心の最も深いところにしまい込んでいる。本当の自分の姿を人に知られるのを恐れながら、しかもそこでひとりぼっちでいる…… イエス・キリストはそんな孤独からわたしたちを解き放とうとして、このような言葉を語りかけておられます。
聖書の中にこんな話があります。イエス・キリストはある時サマリヤという町の外れの井戸のそばで、一人の女と出会い、語り合われました。人目を避け、真昼の暑い最中に水をくみに来たその女に向かって、主はこう言われました。「あなたには5人の夫があったが、今一緒に生活している人はあなたの夫ではない」。その女は、何度も結婚に失敗してきた自分の過去をイエスに言い当てられたのです。そうやって何度も失敗を繰り返しながら、それでも自分の孤独を何とか埋めようとして今もある男と暮らしている。けれどももはやその人と結婚する勇気も、幸せな結婚生活を送る希望も持つことができない。そういう自分の姿にイエスがお触れになったのです。女はそんな自分の姿を誰にも見られたくなかったから、人目を避けていました。でも本当は自分がどうしようもなく抱え込んでいる孤独を、いたたまれない寂しさを、誰かに知ってほしかった。そういう本当の自分を誰かに受け止めてほしかった。そして今、イエス・キリストがその女の本当の姿に触れてくださいました。女を裁き、見下すためではありません。「わたしはあなたを孤独にはしない」。この言葉をこの女にも届けるためでした。
神はイエス・キリストを通してわたしたちにも語りかけておられます。「わたしはあなたを決して孤独にはしない」。大学礼拝でそういう神の愛の語りかけを聴いてほしい、心からそう願っています。