もう10年以上も前になりますが、アメリカ合衆国テネシー州のノックスヴィルという所にいました。当時、日本の大学院に提出するために博士論文を書いていた私は、研究員という身分で、この町にあるテネシー大学の歴史学部に受け入れてもらっていたのです。研究休暇で不在の先生のオフィスを借り、毎日、調べ物をしながら論文を書く。あとは月に1度くらいのペースでアメリカ各地の都市に行き史料調査をするという、かなり自由な時間を過ごしていました。ノックスヴィルの生活については稿を改めたいと思いますが、今回はこの街からジョージア州のアトランタへバスで史料調査に行った時の思い出を書きます。
ノックスヴィルからアトランタへは長距離バスで片道4時間ほどの旅です。そのちょうど中間地点にチャタヌガーという都市があります。ジャズの有名曲「チャタヌガー・チュー・チュー(Chattanooga-Choo-Choo)」に登場する町です。ノックスヴィルのはずれにあるグレイハウンド・バスのターミナルを出発して2時間後、アフリカ系のドライバーがチャタヌガーの停留所が近いことをアナウンスしてくれました。「チャータヌガー!チャータヌガー!」語頭の「チャー」に強いアクセントが置かれた独特の(と私には感じられる)節回しでした。そのとき突然、「あぁ、自分は今、南部にいるなぁ」と感じました。
私が住んでいたノックスヴィルも地域区分としては南部に含まれるので、何をいまさら、ではあります。ただ風土の点で言うと、例えば映画『風と共に去りぬ』などからイメージされる南部と、ノックスヴィルのそれとは雰囲気が大きく異なるのです。アパラチア山脈西側の森林地帯にあって標高も高いノックスヴィルの夏はそれほど暑くなく、もっと南の平野部と比べて過ごしやすい気候です。また、ひたすら緑の山々が続くノックスヴィルの景色は、大農園が広がる「南部」のイメージには当てはまりません。少し歴史の話をすると、南部に奴隷制が広がっていた19世紀にもテネシー州東部にはそれほど大規模な奴隷制農場がなく、南北戦争の時にはリンカン大統領らの北部(連邦)を支持する人も多かったことが知られています。
そんな森と川に囲まれたテネシー東部の空気は、私が生まれ育った北海道の山奥と似たところもあって、異郷にいるという感覚はあまり持てませんでした。(単に、私が大学のキャンパスに閉じこもっていたせいかもしれませんが。)そんな折、車でわずか2時間のチャタヌガーで聞いたバス運転手の歌うような声に、突然、旅情を誘われたのです。外国に旅をすると、空港に着くなり嗅いだ匂いで異国を感じることがありませんか。耳から入る音も、そういう感覚と強く結びつくことがあるのでしょうね。
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