2022.05.20.
英語文化学科松村 聡子

金沢文庫キャンパスの桜

 関東学院大学国際文化学部に着任して以来、毎年金沢文庫キャンパスの桜を見るのを楽しみにしていました。正門から緩やかな登り坂を教室棟までずっと桜並木が続いています。来年度から国際文化学部は金沢八景キャンパスへと移転するため、金沢文庫キャンパスの桜を眺めながら研究室へと通勤するのは、今年が最後になります。

私は関東学院大学に来る前は、地方の某国立大学の教員でした。その大学も立派な桜並木や桜に囲まれた広場があり、授業の合間に広いキャンパス内を散策しては桜の花の写真を撮るのが桜の時期の個人的な恒例行事となっていました。ある年、いつものようにキャンパス内の桜を愛でていると、なぜだか分からないのですが、唐突に「この大学で桜を見るのは、きっと今年が最後だろうな」という思いが胸の中に湧きあがりました。そのときは何かの気の迷いかなと思ったのですが、翌日も同じように桜を眺めていたら、「きっと来年はここで桜は見られない」とやはり強く感じたのです。その時点では、具体的な転職活動をしていたわけではなかったのに、そう感じたのです。説明のつかないこういう思いを一種の予感というのでしょうか。そしてその予感は的中し、その年の晩秋、私は関東学院大学に転職することが決まりました。
19世紀イギリスの作家、シャーロット・ブロンテ(Charlotte Brontë, 1816-1855)の『ジェイン・エア』(Jane Eyre, 1847)に次のような一節があります。

Presentiments are strange things! and so are sympathies; and so are signs: and the three combined make one mystery to which humanity has not yet found the key. I never laughed at presentiments in my life; because I have had strange ones of my own. Sympathies I believe exist (for instance, between far-distant, long-absent, wholly estranged relatives; asserting, notwithstanding their alienation, the unity of the source to which each traces his origin): whose workings baffle mortal comprehension. And signs, for aught we know, may be but the sympathies of Nature with man. (Volume II, Chapter 6より)

予感や予兆といったものに、主人公のジェインが思い巡らせている場面です。彼女はそれらをまやかしとして退けることはなく、人生において起こりうる神秘として肯定的にとらえていることがうかがえます。桜を眺めて感じた予感、そしてその予感のとおりになったとき、私は今まで大して気に留めたことがなかったこの一節をすぐに思い出しました。こうしたものに対してどちらかというと懐疑的だった私の胸に、この一節はそれまでになく強く響きました。その時以来、こうした予感めいた強い思いがどこからか湧きあがってくるという経験はしていませんが、桜の花を見ると、この一節と当時感じたことを思い出すとともに、本学へ転職したのは、私にとって人生の大きな節目の一つだったのだとの思いを新たにします。
金沢八景キャンパスへと移って、次の春はどんな思いで桜を眺めることになるのでしょうか。願わくば、新しい環境と出会いに胸をわくわくさせながら、期待に満ちた春を迎えたいものです。

金沢文庫キャンパスの桜並木