前回、といってもおよそ3年のインターバルが空いてしまいましたが、前回のコラムの続きです。2013年からポルトガルにフィールドワークのため長期滞在中だった私は、ある日の夜、家路にてストライキに遭い、バスに乗れませんでした。そこで偶然出会った3人とタクシーを拾い、それで帰宅しようとしました。今回はその話の続きです。
なんとか見つかったタクシーの車内でいろいろ話していると、一緒にタクシーを拾おうと私に声をかけてきた男性はイタリア出身で、ポルトガルには仕事に訪れたとのこと。そのあと遭遇した女性二人組はそれぞれスペイン出身とフランス出身で、旅行で訪れたそうです。私は日本出身の大学院生。運転手さんは生まれも育ちもポルトガル。車内はイタリア語、スペイン語、フランス語、ポルトガル語という多言語が行き交い、さながらミニ国際交流の場となりました。そういえばこのとき、英語を一切使わなかったというのは興味深いですね。このタクシーの車内は、国際公用語としての英語が存在しない空間であり、それどころか全員が共有して同時に使用できる言語がない空間だったわけです。
では、わたしたちはどのように意思疎通していたのかというと…男性はイタリア語のように響くちょっとリズミカルなポルトガル語を話しつつも、ときに即興とおぼしきスペイン語も交えつつ、ほかの全員はそれに耳を傾ける。女性二人はともにスペイン語で話し、二人どうしで話すときはフランス語が混じる。私と男性はそれを理解したのですが、運転手さんはちょっとスペイン語には慣れていないものの理解したようですが、イタリア語とフランス語はわからない模様。ともあれ、みな、特定の聞き手が把握する言語でいったんは話を進めながらも、途中で話の流れに応じて言語を切り替え、テンションが上がってくると母語になって……夜遅くにこうも脳みそに負担がかかるのはなかなかしんどかったですが、話の中身以上にその空間のありかたが面白かったのを覚えています。
ところで、しばしば以上の4つの言語は似ているとされます。例えば、フランス語に堪能な人であればポルトガルのポルトガル語は雰囲気で理解できることもあるようで、またその逆も同様のようです(実際、ポルトガル語母語話者がポルトガルの大学卒業後、フランスの大学院に進むというのはわりと定番コースです)。スペイン語とポルトガル語は共通する部分も多く、ネイティヴどうしであれば通訳なしで、互いの言語を用いて意思疎通が可能なケースが多いとされます。もちろん、結構な個人差が見られます。私が初めてポルトガルを訪れてホームステイした先の女性はポルトガル語母語話者ですが、長らく植民地(当時)のモザンビークに住んでいたためスペイン語に接する機会が少なく、スペイン語を十分には理解しませんでした。この運転手も然り。あるいは、地域差も関係します。私が大学院で知り合ったチリ出身の友人は、「ブラジルのポルトガル語なら3分あれば慣れる」けれど、「ポルトガルのポルトガル語は1週間かな」と言っていました(話を盛っていないか? でも、実際ブラジルとポルトガルで発音や文法は結構異なります)。このように、杓子定規に、例えばポルトガル語話者にとってのスペイン語がどうだとは言えないですし、あるいはイタリア語話者にとってポルトガル語がどうだとも言えない――話者の出身地、年齢などで、言語のあいだの差異のもつ意味合いは大きく変わるわけですね。その意味で、差異は決して誰が見ても同一で客観的なものではなく、その当事者の立ち位置によって変化しうるわけです。
あの夜のタクシーの出来事もやはり同じことを思わせてくれます。あれほど軽やかに異なる言語へと切り替えてコミュニケーションがとられるとき、確かにこれらの言語は異なるけれど、そこでいう「異なる」とはどういった意味なのでしょうか。あれほどさらっと話者が言語を切り替えるとき、言語のあいだの関係が、不思議に思えてしかたありません。文化を学ぶとは、最終的には差異を考えることに行き着くのだと私は常日頃思っていますが、「差異」それ自体、きっともっと緩やかに捉えるべきものなのでしょう。
長くなってきたのでここでこの話は終えたいと思いますが、ストライキと、ストライキに気づかなかったために生じた一夜の幻のような体験は、わずか10分足らずであったにもかかわらず、不思議な感覚と大きな問いを、いまでも私の身体に刻みこみ続けています。