詩人ワーズワスと妹ドロシーの1803年のスコットランド旅行では、終わりの方でスコットとの初めての出会いがあります。サー・ウォルター・スコット(1771-1832)は生涯の前半でスコットランドにまつわる物語詩を発表し名をあげ、後にはスコットランド史を題材とする小説群、ウェイヴァリー・ノヴェルズで国民的作家となった人物です。彼はロバート・バーンズとR. L. スティーヴンスンとともにスコットランドの三大作家のひとりで、ハイランドの題材が多いのですが、エディンバラ周辺とその南のローランド地方にかかわることが多かったようです。
今回の私の旅では、ドロシーの記録にもある、ワーズワス兄妹とスコットの初めての出会いの場を先ず探しました。エディンバラ郊外、ラスウェイドのスコット・コテージ、今はバロニー・ハウスと呼ばれる、スコットが数年住んだエステートは知る人も少なく、現在は個人の住居のようです。かなり苦労して見つけましたが、今回も敷地内に入ることは遠慮して外からそっと数枚写真を撮って退散しました。私はワーズワス兄妹とスコットがともに旅したボーダー地方の修道院廃墟の一つ、メルローズ・アビも訪れました。ウェールズのティンタン・アビ始め英国内には、宗教改革を経て廃墟となった修道院が多くあり、ターナーなどが画題にしてもいますが、廃墟のまま保存するのは大変なようです。
ガラシールズ、メルローズの近くには、スコットが成功してから住んだ邸宅、アボッツフォード・ハウスがあります。現在では敷地全体が博物館のようになっていて、スコットに関心のある人には良く知られていますが、ここで私は他では得られない、不思議な雰囲気を、それも二度味わいました。この日の朝レンタカー事務所が混んでいて待たされ、またバロニー・ハウスを探すにも手こずったため、アボッツフォードに着いたのは昼時でした。入場券をConcessionという恩恵割引で買った後、カフェテリアで食事をすることにしました。英国の田舎に行くとよく経験しますが、時代を200年遡ったかと錯覚するのは景観だけではなく、全く白人だけの環境です。ロンドンやエディンバラの多民族の英国は、田舎の地方では別世界です。しかしこの場所はどことなく他とは違いました。居合わせた客ほぼ全てが白人というだけではありません。カフェテリアにありがちな喧騒がかなり抑制気味で、話をする人々もひそひそ声で、食器の当たる音も注意深く抑えられているような気がしました。昔の上流階級の社交界がこんなものだったかとも感じましたが、場所が場所だけに、教養人が多かったのかもしれません。
不思議な雰囲気に包まれて、貴族の邸宅、あるいは控えめな城のようなアボッツフォードの主要部を見て回りました。内部はこの後何か所も訪れた貴族の館の小型版のようなものでしたが、さすがに文人の邸宅、蔵書・書斎が立派でした。一通り見て回った後隣接のチャペルに向かい、途中で関係者らしき人から声をかけられたので、旅程など話しました。彼の娘が東日本大震災の後、ボランティアで宮城県に行ったとのこと。彼は私に見せたい所があるとチャペルへ案内してくれました。中に入ると数人の人が祈っています。そのうち一人二人が私の方を見ましたが、彼らの顔を見て私の心は動きました。なんと素朴で敬虔そうな表情だろう。私は思わず彼らと同じように、祭壇に向かって祈りました。信者ではありませんので祭壇への敬意だけです。数十秒の間くだんの彼は待っていてくれましたが、徐にすぐ傍を指さして、このラテン語の意味が解るかと聞いてきました。ラテン語は40年前の大学院生の時に必修科目で悪戦苦闘した覚えがあります。しかし暗い堂内のこと、文字がよく読み取れず簡単にわからないと答えてしまいました。問答に対応するより、居合わせた礼拝する人々の、独特に敬虔な様子に心を打たれたのです。ここではまだ信仰が着実に生きていると感じました。ラテン語の知ったかぶりなど、どうでもよくなってしまいました。あの祈る人々の表情は、英国を数度旅して初めて見るものでした。
Barony House (Old Scott Cottage), 3 Wadingburn Road, Lasswade, Midlothian, EH18 1HR Scotland.
Merlose Abbey, Abbey Street, Melrose, TD6 9LG
Abbotsford House, Abbotsford, Melrose, Roxburghshire TD6 9BQ
Abbotsford House: Interior: スコット自身の胸像が置いてある。
以上4枚の写真2014年8月20日安藤撮影
アボツフォードのURL: http://www.scottsabbotsford.com/visit/opening-hours/