教師という仕事をしていると、自分が意図していない思いがけないところで学生に印象を与えることもあると感じ入りました。先だっての卒業記念パーティーの折です。ゼミの卒業生とは、壇上でも壇の下でも写真も撮り、挨拶を交わしましたが、それ以外は余り挨拶もなく、パーティーの間手持ち無沙汰な中、思いがけず2名ほど特別な学生が声をかけてくれました。
横浜みなとみらい桜通り
卒業記念パーティーは例年この先のホテルで行われます。
一人は1年次の頃にアドヴァイザーの対象だった学生です。特に、課外活動をしたいがどうだろうという相談に来たことを覚えています。私自身四十数年前の学生時代、音楽関係の部活にかなり打ち込んだ覚えがあります。しかし3年次の時にウィリアム・ブレイクと出会い、英詩の研究に目覚めてからは一切を捨て去り、大学院進学を目指して英文学の道に入りましたので、課外活動の是非については複雑な思いがあります。件(くだん)の彼には、「まあ自分しだいだ」と答えました。相談に来るということは半ば以上そちらに進みたいということで、賛成を想定しているかと思われます。ただ、残念ながら彼は4年後、このパーティーに来ましたが、この3月では卒業できず、半年か一年延びるということでした。卒業後は自宅の自営業を手伝うそうで、そういうことであれば悠々自適に課外活動もよかったかと思われます。私自身が学部生の時に課外活動で他大学と交流したとき、大学院生も居たので大学院に入って後も課外活動を続ける学生も居ると知っていましたが、自分の場合は選んだ専門に全力を尽くすため他のものを全て断ち切ったのです。
あの日のパーティーでは、もう一人、余り憶えのない学生が挨拶に来ました。私が教えたことのない、現代社会学科の卒業生です。何を話しに来たのかと思えば、3年の時にニュージーランドのマッセー大学に派遣留学を果たしたことでした。本学の制度でもこの大学にはTOEFLのスコアが530点以上必要で、英語専門の学生でもなかなか果たせない留学先です。オセアニアには私は行ったことがないので、留学の様子を聞こうとしましたが、時間が充分ありませんでした。彼が私に伝えたかったのは、あの留学もいい経験でしたが、その前後を通じて「最もインパクトを受けたのは先生の英語面接でした」ということだったようでした。
そういえば二年前まで国際センター所員をしていて、何度か日本人の英語圏への留学希望者に英語面接をし、中国その他アジアやアメリカなどからの留学生には奨学金の日本語面接をしたことを思い出しました。日本人の英語圏への留学希望者には英語だけで、外国からの本学への留学生には日本語で、特に英語圏からの留学生には日本語が難しそうなら英語を交えてということでした。面接は5講時の終わった、当時でも午後6時過ぎ、終わりは7時をはるかに過ぎ8時にもなるので余りうれしい業務ではありませんでした。件(くだん)の学生の英語面接はアメリカ人の先生と二人で行ったのですが、結局すべて英語で終始しました。それが普段あまり経験しない現代社会学科の学生にとっては、驚くほどのインパクトだったようです。パーティーではその後、酒の勢いも手伝いしばらく彼と英語で愉快にやり取りしましたが、まもなくゼミ写真撮影時間となり、彼とは別れました。
ゼミ写真撮影の後、私はそっと会場をあとにしました。