キリスト教は、二千年の歩みの中で、その道を東西に分けました。世界史では、一般に、西欧世界を経てアジアに伝播された「西漸(せいぜん)のヘブライニズム」を、キリスト教史と考えています。
しかし、ユーラシア大陸においては、ローマ帝国からシルクロードを経て、中国まで到達した「東漸(とうぜん)のキリスト教」があったことも事実です。彼らは、ネストリウス派と呼ばれており、信条の違いからラテン=キリスト教世界を生み出す主流派より異端とされ、新しい宣教地を求め、イスラム世界でキリスト教少数者としての緊張を保ちつつ、遥か極東の地まで布教の足を延ばしたのです。
唐代781年(建中2年)に伊斯(いし)が建立後、迫害により土に埋もれていた古代キリスト教関連の古碑『大秦景教流行中国碑』が、1623年(or1625年)、中国の西安(長安)の崇聖寺境内で発見されました。そこには、シルクロードを東漸し、入唐した中国のキリスト教(景教)のことが、詳細に記されていました。碑文は景浄。現在、西安碑林博物館に保管されています。
一千年の時を超え目覚めたこの「大秦景教流行中國碑」は、私たちに東西文化の交流の何を語っているのか。また、その碑文を紐解く中で、中国にまで宣教されたキリスト教ネストリウス派の信仰と歴史とは等々、今、関東学院大学で「ヘブライズムの東漸」に関する研究が始まりました。
そこで、早速、関東学院大学は、「大秦景教流行中國碑」が発見された西安にある西安交通大学と学術協定を結び、景教(キリスト教ネストリウス派)が、大秦(ローマ)から遥かシルクロードを渡り、どの様に東アジアにまで伝播されたのかを、詳細に調査することになりました。
本年度、関東学院大学では、宗教教育センター主催の「2016年度キリスト教公開講座」の一つとして、「ヘブライズムの東漸」を計画し、「大秦景教流行中國碑」の概要に関して発表しました。
今回調査している「大秦景教流行中國碑」は、文字数約1900字で、内容は三部に分かれています。第一段は、聖書の創世物語から弥施詞(ミシア)の誕生、昇天までを記しています。第二段は、唐王朝と景教の関係を記しています。第三段は、頌(しょう)ともいうべき詞(韻文)です。シルクロードを渡り、東アジアに伝えたキリスト教の思想が見えてきました。また、10月の大学公開講座では、「大秦景教流行中國碑」の内容の第一段部分を、詳細に解読し、発表する予定です。