2012.06.15.
英語文化学科山邊 省太

今年のゼミの文学

今年からゼミナールを担当することになり、20世紀アメリカを代表する作家、F. S. フィッツジェラルドの作品を学生と読んでいます。私は大学時代に彼の作品を読んだ時、それほど共感したわけではなかったのですが、今はなぜかとても楽しく読んでいます。最近、年によって文学テキストを読む楽しさが違うことを実感します。フィッツジェラルドの作品の多くは、「アメリカの夢」と結び付けられるのですが、彼の文学を楽しめるのは、今私が夢を追いかけているのではなく、もう過ぎ去ったものと認識しているからではないかと考えています。夢を追いかけている時は気付かなかった、いやその中に浸かっていたからこそ気付くことさえできなかった夢の哀愁、あるいはそのようなものはそもそもなかったかもしれないが、かつては確かにそれがあったのだと思いたい現在の(中年の)心境、フィッツジェラルドの文学と向かい合う時そのような気持ちが自分の中に湧き上がってくるのを感じます。「僕はもう30です。自分に嘘をついて、それを名誉とするには、5つほど年をとりすぎました」、これはフィッツジェラルドの傑作『グレート・ギャツビー』の中の有名な台詞ですが、30になってもう取り返すことのできない何かを、さらに10年を経た40になってようやくしみじみと感じています。この年でフィッツジェラルドの作品を読み返す時、改めて文学とは自分自身と向き合うものであると感じ、そしてそのように思わせる彼の文学の偉大さにようやく気付き始めているところです。