2012.11.23.
英語文化学科島村 宣男

ことばの重み

英語の教師として、詩のことば(・・・) (poetic language) の研究に勤(いそ)しんできた私にとって、語学と文学との区別はもとより無用なものです。ことば(・・・)は文学ではありませんが、文学はことば(・・・)であるからです。そうした視点から、英詩のことば(・・・)が有する重みというテーマで少しお話しましょう。
ジョン・ミルトン (John Milton, 1608-1686) といえば、 十七世紀英国を代表するピューリタン詩人として知られています。その代表作は、『失楽園』の邦訳タイトルで知られる叙事詩 Paradise Lost です。
17世紀半ば、国王チャールズ一世の専横に抗して新たに共和国 (the Commonwealth) を樹立したピューリタン革命 (the Puritan Revolution) のさなか、政府の外国語秘書官として在職中に視力を失ったミルトンは、革命の挫折による失意のなかで、聖書は『創世記』(Genesis)第二〜三章における「神による天地創造」から「人間の楽園追放」までの連続する小エピソードを全一万行の壮大な長詩に謳(うた)い上げます。
この叙事詩にあって圧巻は、前半第一・二巻、天界 (Heaven) の神 (God) の支配に逆らって闘いを挑むも、惨敗の果てに地獄 (Hell) に堕ちたセイタン (Satan) の迫力に満ちた描写です。やがて人間を堕落の淵に誘うことになる、神 (God) の「大いなる敵」(the great enemy) にほかならぬセイタンの「炎の洪水」(fiery deluge) と「可視の闇」(visible darkness) からの脱出の過程が生彩に富む筆致で描かれています。
第一巻の冒頭 (Bk. I. 105-111) 、セイタンは自分と運命を共にした堕天使たち (fallen angels) に高らかに呼び掛けます。

 

…… What though the field be lost?
All is not lost; the unconquerable will,
And study of revenge, immortal hate,
And courage never to submit or yield:
And what is else not to be overcome?
That glory never shall his wrath or might
Extort from me.
〔……戦闘に敗れたところで、何ほどのこともない。
全てが失われたわけではない。不屈の意志、
そして復讐への執着、不滅の憎悪、
そして勇気というものに屈従や屈服は無縁だ。
おめおめと引き下がるわけにはいくまい?
彼奴 (きゃつ) の怒りや力がいかほどのものであれ、
この私から過去の栄光を奪取できるわけがない。〕

 

ここでセイタンが「彼奴」と呼ぶのは、他ならぬキリスト教の神のことです。それにしても、何と傲岸 (ごうがん) なほどに力強い一節でしょうか。いっぽうで、それは余りに「人間的」な (human) ことばであるようにも聞こえます。
それにしても、セイタンをこれほどまでに壮絶に描ききった詩人は、西欧の文学世界にあってミルトンを措(お)いてはいません。並大抵の文学的想像力の産物とは到底思えません。「悪」(evil) の象徴としてのセイタンに、いかにも人間的な息吹を吹き込むことによって、ミルトンは何を仮託(かたく)したのでしょう。
それは「恐怖」(fear) というものであったと思われます。言うまでもなく、「至高者」(the Most High) にして「全能者」(the Almighty Power) たる神に対する「恐怖」です。確かに、眼に見えない「恐怖」が内に孕(はら)む力ほど、人間の行動を左右するものはありません。
このような「恐怖」の力は、人生の後半を迎えたミルトン自身を襲ったものでもありました。完全失明に続く理想国家の崩壊、三人の娘を残して逝った妻メアリーと後妻キャサリンとの死別、そして帝都ロンドンを席巻したペスト禍と大火、一個の人間に加えられるには余りに苛酷な運命の連鎖です。
しかし、ミルトンはいささかも怯 (ひる) みませんでした。それどころか、その屈強な精神の運動は Paradise Lost という稀代の傑作として結実するのです。

 

読書案内:
John Milton, Paradise Lost, ed. by John Leonard, Penguin Books, 2000.
ミルトン『失楽園』(平井正穂訳、上下2冊)岩波文庫