前回、1730年代が抜けていましたが、この時期にはウィリアム・ホガースという画家が登場してきます。彼は当時のイギリスを代表する画家であると同時に、銅版画家でもあり、彼はこの銅版画を使って何枚かのシーンを描くことで、小説がしたと同じような物語を語っていったのでした。これはちょうど現在でいうところの、こまわりマンガのようなもので、ホガースが漫画の歴史というような本の中で最初に取り上げられるのもうなずけるところです。1732年に、ホガースは『娼婦一代記』という当時の堕落した女の生涯を、細部描写に満ちた4枚の銅版画によって描き出して大評判をとることになります。文字が読めない人々も彼の物語絵(日本では昔から「絵物語」という伝統がありますが、ホガースの場合は「ナラティヴ・ピクチャーズ(物語絵)」と呼ばれています)を大いに楽しんだのでした。
ここにお見せするのは彼の最高傑作といわれる『当世風結婚』(1756)の6枚続きの物語絵の冒頭のものですが、いやいやながら結婚させられた金持ちの商人の娘とナルシスト(鏡を見ていますよね)の貴族の息子の悲劇を描いたものでした。中央左手のテーブルに向き合っている二人は双方の父親同士で、家柄を誇示するように家系樹を指差しているものの痛風で足を痛めている貴族の父親と、地位が目当てで巨額の持参金をつけて娘を嫁にやる商人のエゴが表現されているわけです。商人が見ているのは、「結婚契約書」です。若い二人のこれからの結婚生活と、二人の子や孫たちの財産分与にいたるまでの契約が、傲慢で虚栄に満ちた上流階級の父親たちの決定に委ねられたことを示しています。そしてこれが若い二人の悲劇のもとになるというストーリーが、以下の5枚の銅板画によって語られます。また、この二人が結婚という名の鎖で繋がれた犬として右下に表象されているのです。すべて細部に意味があるのです。
その起源に戻って考え直してみると、小説と漫画はいわば手に手を取り合って発生していることになります。いまやヴィジュアルの時代で、写真や動画はわれわれの周りにあふれていますが、当時の状況を考えてみてください。写真がなかったので画家による肖像画が珍重された時代でした。イメージの再現は、絵画による数少ない機会として、鑑賞者に現れてくるものでしかなかったのでした。絵画によってポートレトが手に入るのはごくごく少数の上流階級でしかなかったわけですから、図像による再現の魅力がどれほど当時の中産階級の読者の心を捉えたかは明らかでしょう。それはもうショッキングな一つの事件なのでした。そこに新しい銅版画という技法による、視覚的な手法が登場してきたのでした。物語が視覚化され、いきいきとしたイメージが、絵画のように唯一の、1枚きりの存在ではなくて、多数の複製画という形の銅版画によって、読者・鑑賞者の想像力をかきたてていったともいえるでしょう。いわゆる大量な複製画のもつ文化的な変化のきっかけになっていくわけです。
「小説」という言葉は、もちろん「大説」に対応するもので、中国から伝わった概念を基本にしているわけです。政治論や道徳論や宗教論などの立派な考えにたいして、もっぱら低級な娯楽の読み物として、むしろ軽蔑されていたといってもいいジャンルだったのは洋の東西を問わず当てはまることです。ロマンスなどの宮廷恋愛談やありもしない荒唐無稽の物語は、幼い子供や「婦女子」などの心を誤たせる危険な読み物であり、社会的に有害なものであるというような考え方は、聖職者などを中心とした当時のイギリスの厳しい雰囲気は根強くあったのでした。「小説」や「マンガ」は、その起源に遡ってみると、ある意味では同じように、いわば社会的に危険視され、否定されてきたともいえるので、「詩」や「劇」が正当な評価を得ていたのとは違い、その出だしがともに卑しい起源のものだったのです。「小説の方を読め、マンガは読むな」などといういいかたそのものが、妙におかしなものに聞こえてきませんか。こんな「小説」と「銅版画」の交渉というテーマもやっています。関心のある方は、ぜひ一度オープン・キャンパスの折などにいらしてください。
(英語英米文学科 仙葉 豊先生)