2010.06.24.
比較文化学科岩佐 壮四郎

感心する三四郎

《・・・・・・すると與次郎は、是から先は図書館でなくっちゃ物足りない」と云って片町の方へ曲がって仕舞った。この一言で三四郎は始めて図書館へ這入る事を知った。》

関東学院大学 文学部図書館(金沢文庫キャンパス)

皆さんは、小川三四郎という若者をご存知でしょうか。ア、オレだなんて、ドキっとした同姓同名の人がいたらごめん。ここで言う三四郎は、夏目漱石の小説『三四郎』の主人公のこと。引用したのは、大学に入ったばかりの三四郎が、教室で知り合った與次郎に誘われて寄席に行き、初めて落語を聴いて感心し、そのあとで與次郎の落語についての薀蓄(うんちく)を聞かされてまた感心する場面。図書館に足を運んだ三四郎は、そこでまた、感心する。一階から三階まで、一生かかっても到底読み尽くせないほどの本で溢れかえっていること、本だけでなく自分の席の「向ふの果にゐる人」の「眼口は判然としない」ほど人も沢山いるのに、静まり返っていること、等々、かれには感心するばかりです。なかでも感心したのは、どの本も、誰かが読んだらしい徴がついていること。まさか、こんな本は誰も読んでいないだろうと、アタリをつけて英書を披くと、ちゃんと徴がある。学問の世界はなんと「静かで深いもの」かと、またまた感心するというわけ。早速、彼が何冊か借り出すのはいうまでもありませんが、それがどういう本だったか、どのような感想を抱いたかは、具体的には、書かれてはいません。だが、彼はきっとそれらを読んで感心したにちがいありません。彼はなんにでも感心することのできる若者だからです。

三四郎が感心なのは、彼がこんな風に、なんにでも感心することのできる青年であるところにある。なんにでも感心できること、それこそ若さの特権であり、あらゆる未来はここからこそ開かれるからです。図書館で借りた本を読んで、とにかく感心したはずの彼に、どんな未来が待っていたかは、読んでからのお楽しみですが、そのためには、まず彼のように、図書館に「這入」らなくては!三四郎みたいに、なにごとにも感心できる君、君がやってくるのを、大学の教室も、また図書館も、心待ちにして待ってるよ。

関東学院大学 図書館本館(金沢八景キャンパス)

(比較文化学科 岩佐壮四郎)