今年の6月12日と13日に香川大学で行われた、中・四国アメリカ文学会に参加してきました。私は昨年の3月まで広島の私立大学に勤務していたので、中・四国地方はとても馴染み深い土地です。
私の専門はアメリカ文学ですが、それは大学院の修士課程に入ってから本格的に始めた分野で、大学の学部課程では小学校の先生になるべく勉強していました。教育学部の社会科の学生でしたが、特に哲学や文学に興味があり、ゼミを通してあるいは個人的にそれらについて勉強していました。その過程で、人間や社会の諸問題だけでなく、徐々に神的な存在に興味が引かれ、哲学書や文学作品からそのことについていろいろと考えるようになりました。
そのような時だったからかもしれませんが、大学3年生のときに四国遍路というものをしたことがあります。(ちなみに私の家は浄土宗ですが…。)これは今では非常に有名なものですが、弘法大師空海にゆかりのある四国の88の寺を一周するものです。当時22歳だった私はすべてを歩いたわけではありませんが、20日間かけてこれらの寺を巡りました。
八栗寺 山門
今度の学会が終わった後、当時を懐かしく思い出しながら、85番目の札所である「五剣山 八栗寺(ごけんざん やくりじ)」(高松市)に足を延ばしてみました。以前に来た時は3月で今回は6月なので季節的な違いはありますが、それでも以前と変わらない雰囲気を漂わせていました。約17年もの月日が経過しているのにあまり変わっていないように感じたのは、自分自身があまり変化していないからかもしれない、ふとそう思いました。
八栗寺 本堂
四国巡礼は88の寺を詣でた後、また1番目の寺に戻りそこから再び出発する円環構造を持っています――つまり、88の寺を永続的に反復する行為と言えます。反復とは決して同じことの繰り返しではない、何らかの差異を作り出す行為なのだ、というのは時折触れる言葉ですが、私も今回訪れた人もまばらなこの寺で自分自身の昔を思い返し、これまでとは違うであろう将来について思索を巡らしました。そして、過去と未来が時間の垣根を越えて交錯する瞬間を味わった後、横浜への帰路につきました。
(英語英米文学科 山邊省太)