私はフランスの近現代文学を専門にしています。ゼミ生の関心は多様ですが、2010年度のゼミではフランスのポスター芸術やシャルル・ペローの童話などについて優れた論文が書かれました。講義では近現代フランスにおける文学や芸術の流れを辿っていますが、シュルレアリスムの話になるとみな興味津々です。
現在、東京都新美術館で「シュルレアリスム展」が開かれています。斬新な発想や夢幻的な感覚を愉しみながらこの20世紀最大の芸術運動についてつぶさに知ることのできるまたとないチャンスですので、六本木界隈の散策も兼ねて、いまのうちにぜひ訪れてください(5月9日まで)。
○東京都新美術館・シュルレアリスム展 公式HP
→ http://www.nact.jp/exhibition_special/2011/surrealisme/index.html
シュルレアリスム運動は、1924年にアンドレ・ブルトンらによって創始されてから、今回の展覧会に展示されているようなさまざまな絵画やオブジェを生み出してきました。けれども、運動出発時のメンバーは主として詩人たちでした。シュルレアリストたちは、視覚芸術のみならず言語芸術の世界にも大いなる革新をもたらしたのです。ここでは、その一端を知っていただくために、ブルトンの片腕となってシュルレアリスム運動を牽引した詩人ポール・エリュアールの詩を、ほんの一節だけご紹介したいと思います。『愛・詩』(1929年)という詩集の一断章を開始する、こんな一節です。
大地はオレンジのように青い
間違いではない 言葉は嘘をつかない
どうでしょうか。「大地はオレンジのように青い」という一文からどんな印象を受けましたか? 公平を期すために、「大地」と訳した単語は「地球」を意味する単語と同じであることを急いで付け加えておかなければなりません。「大地はオレンジのように青い」と「地球はオレンジのように青い」とでは、そこから受け取る印象はずいぶん異なるでしょうから。「大地」が私たちの足下にある茶色っぽい平面であるのに対し、「地球」は、宇宙から見た地球の写真を思い浮かべることができ、ガガーリンの言葉「地球は青かった」を知っている私たちにとって、巨大な青い球体としてイメージされるものでしょう。後者の場合には、確かに、青という色には不思議はなく、球体という形から、地球とオレンジを結んでみることも不可能ではないように思えます。とはいっても、エリュアールがこの詩を書いたのは1928年、ガガーリンが地球を眺めた1961年より30年以上も前のことです。エリュアールはまるでガガーリンを予告していたようだ、と感じる人もいることでしょう。
けれども、「大地」にせよ「地球」にせよ、「オレンジのように青い」という一節に関しては、そうそう簡単に説明をつけられそうにありません。このオレンジはまだ熟していなくて青っぽいのだ、と苦し紛れの説明を与えようとした注釈者もいたようですが、「オレンジ」という言葉がすぐさま、あのみずみずしい果実だけでなく、鮮やかなオレンジ色をも思い起こさせることは否定できないでしょう。だとすれば、ここはもう合理的な説明は観念して、オレンジと地球とオレンジ色と青色が互いに近づいたり遠ざかったりする絵には描けない運動のなかに身を浸してみればいいのではないでしょうか。続く2行目によれば、「言葉は嘘をつかない」のですから。つまり、「地球はオレンジのように青い」という言葉は、現実に反しているのではなくて、〈別の現実〉を創り出すのです。エリュアールというひとりのシュルレアリスム(超現実主義)詩人が見出した、これが、言葉による「超現実」です。
(比較文化学科 郷原佳以)