高校野球といえば、もはや日本の夏の風物詩。毎年楽しみにしている人も多いと思います。高校球児たちの青年らしい爽やかなプレイに心打たれることもしばしばではないでしょうか。そして、この全国高校野球選手権大会を主催しているのが朝日新聞社だということも有名です。でも、実は明治時代、朝日新聞(東京朝日新聞)は「野球は青少年に害を及ぼす」として通称「野球害毒論」というアンチ野球キャンペーンを行っていたことをご存じでしょうか。
明治44(1911)年、東京朝日新聞紙上に、当時のエリート養成校であった第一高等学校校長の新渡戸稲造による『野球と其害毒』という文章が掲載されました。曰く、野球は青少年に悪い影響を及ぼし、学生にとって好ましくない活動である、と。その後、この連載は様々な論者によって22回にわたって継続されることになります。
その内容を見てみると、野球は相手をペテンにかける競技であるとか、「選手悉(ことごと)く不良少年」、あるいは

 「脳に悪い影響を与える」というものまで様々でした。中には「選手の成績を手加減」する教授がいる、という、どこかで聞いたことのあるような(?)批判もあります。
一方、野球擁護派は毎日新聞(当時は東京日日新聞)や読売新聞、報知新聞の紙上で反論を行ったため、これらの新聞と朝日新聞は野球を巡って一種の販売合戦となりました。当時の学生野球人気は非常に高く、結果的に擁護派が大勢を占めることとなり、朝日新聞は部数を減らしていきます。これに危機感を抱いたのか、朝日新聞は「野球は悪いという意見が多い」というアンケート結果を一方的に掲載し、唐突に野球害毒論を終了してしまいます。その後はみなさんも知っての通り、朝日新聞(当時の大阪朝日新聞)は現在の高校野球大会の主催者となり(1915年)、「爽やかで好ましい野球と青年」というイメージの物語の作り手として、180度の方向転換を果たしてゆくことになりました。学生野球というアマチュア・スポーツの代表的な存在が、その黎明期からメディア(この場合は新聞)の売り上げという商業的な側面と結びついていたことを物語る、意外な一例です。

※新聞記事:東京朝日新聞 明治44年8月31日号、9月8日号、9月16日号より