2013.11.15.
英語文化学科島村 宣男

ことばの重み(Ⅱ)

先回 (vol. 131/ Dec. 7, 2012) に引き続き、私の知的関心の中心にあって久しい、英国17世紀の詩人 John Milton の全12巻からなるピューリタン叙事詩 Paradise Lost のなかから、すぐれて重厚な詩的表現のいくつかを拾ってみましょう。
天界 (Heaven) における神 (God) の専制に謀反を企て、雷電 (thunder) の攻撃を受けて真っ逆さまに地獄 (Hell) に堕ちたサタン (Satan) は、火炎の海のなかで仲間の堕天使たちを懸命に鼓舞します。
以下に引くのは、叛徒サタンが直近の同志の「蠅の王」、ベーエルツェバブ (Beëlzebub) に力強く語りかける一節です。

 

Fall’n Cherub, to be weak is miserable
Doing or suffering: but of this be sure,
To do aught good never will be our task,
But ever to do ill our sole delight,
As being the contrary to his high will
Whom we resist. If then his Providence
Out of our evil seek to bring forth good,
Our labour must be to pervert that end,
And out of good still to find means of evil.
――Book I. 157-165

 

〔 堕ちた天使よ、攻めるにせよ守るにせよ、弱いということは
惨めなものだ。しかし、これだけははっきりさせておこう。
善を行うことは我らの仕事ではなく、
悪を行うことこそが我らの唯一の悦びであるということを。
それこそ、我らが抵抗した彼奴(神)の高邁な意志とやらに
叛くものだからだ。よって、彼奴の摂理が
我らの悪から善を生み出すことを追及するのであれば、
我らの仕事はその目的を逆転させて、
善から悪の手段を見出すことでなければならぬ。〕

 

いやはや、恐ろしくも身の毛のよだつ危険な思想です。サタンは「大いなる敵」を意味するヘブル語名ですが、この堕天使、もともと天界では「輝かしき者」を意味するルシファー (Lucifer) の名で呼ばれていました。彼の行動の原理は、神に対する強い「怒り」(anger) です。やがて、後段は Book IV において、楽園 (Eden) で生活する人間アダム (Adam) とイーヴ (Eve) の仲睦まじい様子に、「嫉妬」(envy) の虜にもなってしまいます。結局、彼なりの「復讐」(revenge) を企てることになるわけです。
ところで、このようなサタン像、どこかで見たような気がしませんか?そう、近年にあってアメリカ中の映画ファンを熱狂させた、Christopher Nolan の「バットマン三部作」(the Batman Trilogy) の第二作目 The Dark Knight (2008) に登場して、「闇の騎士」バットマンに挑む狂気のジョーカー (the Joker) のそれに似てはいないでしょうか?映画では、ゴッサム・シティを恐怖に陥れるジョーカーの過去は明らかにされませんが、想像するに、もともとは家庭に、結婚に、そして社会に裏切られた実直に過ぎるほどの青年であったのではないでしょうか。「絶望」(despair) によって生み出されるその行動の原理――怒り、嫉妬、そして復讐――も、サタンのそれにそっくりです。言うまでもなく、バットマンは「救世主」としてサタンと闘うイエスを模しているわけです。
この作品、インターネットの外国映画専門サイト Internet Movie Database のファン投票で堂々の歴代第6位、評価も10点満点の9.0と、映画史上の傑作の一つになっています。多くの日本人が見るように、アメコミを原作とする単なるヒーローものではないのです。ところで、ジョーカーを演じてアカデミー賞の助演男優賞を受賞した故 Heath Ledger の「次回作」の候補に Paradise Lost が上がっていたことを知っていますか? Ledger の予定される役どころですが、何と、「サタン」だったのです! 期待された Paradise Lost の映画化の計画は現在、 Ledger の不慮の死によって暗礁に乗り上げたかに見えます。
ピューリタニズム (puritanism) という「理念」の共和国アメリカにとって、 Milton はまさに「国民的詩人」というに等しく、また Milton の描いたサタンほど身近な存在はありません。それはアメリカという国家が歴史=発生的にどうしても拭い去ることのできない日常的な「恐怖」(fear) の源なのです。