表題の要望に応えて、今年の私の「ゼミⅡ」(3年生)では『動きすぎてはいけない―ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学―』(千葉雅也2013)を読んでいます。「日本語学概論」という授業で配った資料(千葉氏と浅田彰氏との対談記事)をたまたま「ゼミⅠ」の余った時間で読んだことがきっかけとなりました。難しい本ですが、ちょっと引用してみると、
破壊的可塑性は、脳神経をひとつの範例として、記憶・歴史の哲学を示唆するだろう。全面的に因果的ではない、いたるところに切断が、非意味的切断が走っている-(後略)
といった内容です。若手の哲学研究者によって一所懸命に書かれた本なので、読みごたえもあり、音を上げてしまうのではないかと心配ですが、熱烈ゼミ生M君の真摯な提案、および、その、大学生らしい背伸びに、逞しさを感じてもいます。
「日本語学概論」での話ですが、昨年度最終回の授業終了後に、学生たちから拍手を受けました(教壇から遠回しな強要があったことは否み難いのですが)。授業アンケートにも、以下のような、嬉しい感想が綴られています。
・難しい話が多くて、今まで受けた授業の中で一番自分でよく考えた授業でした。この授業を受けて、自分で考えて、考えて、考え抜くことの楽しさや面白さを知りました。
・学生のうちにしか出来ない社会に出たあとの応用力を身につけるためのとても良い講義でした。
学生たちの「ありがとうございました」の声を聞きながら講義を終えるのが、私の授業の約束事のようにもなっています。比較文化学科の、これは良き伝統です。
― とりとめもなく綴ってみました。すべてが日々の学びの一コマ、私の愛する、常設的な、比較文化学科の、風景です。よい学科になりつつあることを、日々実感しています。