森島ゼミナールでは、今年も「北アメリカでの文化調査研究」を行いました。日程は、9月1日-19日、調査した対象地は、ワシントンD.C.フィラデルフィア地区ランカスター、ニューヨーク、ニューオリンズ、ハワイ島そしてオアフ島です。この研修の詳細については、金沢文庫キャンパス1階のエントランスの写真展で見ることが出来ます。また、その報告は、森島研究室のホームページにある各人の研究ページにも、もうすぐアップされます。
さて、北アメリカは、プロテスタント大国でもあります。私たちも、日曜日には必ず町の教会を訪問します。コロンビア大学の横にあるお城のようなリバーサイド教会やハーレム地区のゴスペル教会にも参加します。その時、聖歌隊がよく謳っている賛美歌が、最近日本でもよく耳にする「アメージング・グレース」です。
(Canaan Baptist Church of Christ前で)
(Canaan Baptist Church of Christゴスペル聖歌隊)
この歌声は、かつてアメリカで奴隷となっていた人たちにより、全米に広げられた賛美歌です。彼らの心の支え、またはある時は抵抗の歌であり、まさに彼らにとっては、第二の国歌ともいうべきものでした。
さらにこの賛美歌は、ロックンロールの王様、E・プレスリーが歌い、全米で最も権威のあるグラミー賞を受賞したこともあり、今や、全世界でもっとも愛される魂の調べになりました。そして事実、彼の活躍により、この調べは、アメリカでの白人と黒人を結ぶ象徴ともなりました。
(エルビス・プレスリー 作:勘田義治氏)
さて、この歌詞は、約200年前に書かれています。作者の名前は、ジョン・ニュートン(John Newton,1725年-1807年)と言います。ロンドンで、船員の父と敬虔なクリスチャンの母との間に生まれた人物です。しかし彼は、実はもと奴隷船の船長でした。
(ジョン・ニュートン)
1748年、彼が22歳の時でした。船が航海の途中で嵐に遭い、難破しかけたのです。彼は、母の死後初めて、必死に神に祈りました。奇跡的にも一命を取り留めた時、彼は神に感謝すると共に、過去の自分を悔い改め、その後、なんと牧師になったのです。「なんと大きな恵だろう、こんな卑劣漢(wretch)の私をも救って下さった」と、その時の彼の想いが、この詩には込められているのです。
[歌詞]
Amazing grace!(how sweet the sound)
That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see.
‘Twas grace that taught my heart to fear.
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.
Through many dangers, toils and snares.
I have already come;
‘Tis grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
When we’ve been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We’ve no less days to sing God’s praise
Than when we’ve first begun.
この歌詞は、初め、1779年にイギリスで出版された「オウルニィの讃美歌集」の中に“Faith’s Review and Expectation”(信仰の反省と期待)という題で収録されています。
ところで、なぜこの賛美歌を、奴隷であった人たちが愛したのでしょう。彼らも卑劣漢だったのでしょうか。奴隷は罪深い人だったのでしょうか。違います。先ほどの歌詞に出てくる“wretch”という言葉には、「卑劣漢、罪人」の他に、もう一つの意味がありました。それは「哀れな人」という意味です。つまり彼らは、自分たちの境遇から、その詩の中にある“wretch”に、異なるメッセージを読み取ったのです。「こんな哀れな自分でも救われる」と歌うことにより、この賛美歌を、自分たちの魂の歌にしていったのです。
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