5年ほど前の教員コラムで、私が東京オリンピックの前年の1963年に英語の勉強を始めたことを記しましたが、今回はその後どのように取り組んだか語ります。1960年代始めの中学で教えられたのはイギリス英語で、アルファベットから始まり、単語レベル “a pen” “a pin” から、“Have you a pen?” “Yes, I have.” と習ったことを覚えています。これが中3から突然アメリカ英語の教科書に替ったと記憶しています。私の出身地は昔から習い事が盛んで、私も小学校2年くらいから習字塾と学習塾に通っていました。その習字塾が英語も教えるようになり、書道をやめて英語を習い始めました。内容は学習塾と同じ先生が中学1年の教科書を先取りして小学6年生に教えるというだけでした。しかし当時東京オリンピックの前年で英語ブーム、戦中の女学校を卒業した母も成人の英語教室に通っていたようです。
中学に入学後は学習塾一本にしましたが、これも2年の初夏にやめました。近くの名門高校にたくさん合格を出していた塾でしたが、もともと体があまり丈夫でなかった私は当時庭球の部活で少しずつ体力をつけ、勉強だけしかできないガリ勉になるのを嫌ったのです。自分なりに勉強し、また好きになった小説を自由に読み、テニスに興じ、またクラシック音楽をのんびり聴きたいという願望が強く、親も黙認でした。小学校上級ころから記憶がよくなり、当初社会科や理科が得意でしたが、中学で予習復習をする習慣をつけ、苦手な数学もそこそここなし、塾をやめてもクラスでトップを争う成績を維持できました。英語も予習復習をしただけですが、得意科目の一つになっていきました。一方当時は成績優秀な生徒がリーダーに選ばれたので、私も生徒会に貢献をすべきとまわりに勧められ、3年の後期に会長に立候補し数名の中から選出されました。こうして中学最後の時期は受験勉強と生徒会活動の二重生活をすごし、受験でも志望の地元名門高校に入学できました。
この間中学3年の頃に「英検」が始まり、先生に勧められ早速3級と4級を取得しました。同じ先生の勧めでNHKのラジオ英語講座を聴くようになりました。今でも基礎英語やラジオ英会話の放送があるようですが、私は1960年代半ばの中学から高校にかけて3年ほど講座を欠かさず聴き、当時出回り始めたオープンリールのテープレコーダーにマイク経由で録音し、時間があれば繰り返してネイティヴの英語を聴き返し、発音練習をしていました。高3では、母の勧めで志望を国文学から英文学に替え大学入試の勉強に集中しましたが、専攻する予定の英語には特に力を入れました。数多くの参考書や問題集をこなしましたが、最終的には大正期の初版から当時なお受験生のバイブルといわれていた伝説的な「山貞」の『新々英文解釈研究』、『新自修英文典』まで自習を成し遂げたと記憶しています。
大学に入るまで英語のネイティヴと接する機会は皆無でしたが英会話は得意でした。大学入学の当初英米人の先生と英語で話すのが楽しく積極的でしたが、何度か “This time except Mr. Ando.” と言われ、自分以外の学生に発言が振り向けられたことを覚えています。それほど得意ではなかった文法は大学でイェスペルセンやドイツ語を学んだり、中高生を教えたりする中で徐々に完璧にしていったように覚えています。英作文は後に卒論と修論で英語論文作成に悪戦苦闘し、能力不足を感じましたが、クリエイティヴ・ライティングなど発想もなく、留学にも大金のかかる時代でしたから機会がなく、今日に至るまで誇ることのできない分野になってしまいました。
In front of the statue of “Gassy” Jack.
Gastown, Vancouver, Canada 1989. Aged 38.
Victoria, British Columbia, Canada, 1992. 英語研修3度目の引率時
1980年代の終わりから海外語学研修や教員の在外研究が一般的になりました。
外国語の究極はやはり書くことで、ドナルド・キーン氏でさえも日本語の出版は日本人の翻訳によっているようです。日本人の英語では古くは新渡戸稲造の『武士道』や岡倉天心の『茶の本』等がありますが、何れも英語ネイティヴの親族や知人の手が入っているとみられます。外国語としての英語を専門にすれば、その難しさがよりわかり、学術論文を英語で書くことには慎重になります。
英語を50年以上勉強し、40年以上教えてきた私ですが、英語を得意と思っている皆さんには特に注意を喚起します。コミュニケーションに自信があっても、毎日使っていないとすぐに錆びつきます。間違って思い込んでいることもよくあります。英語の語彙やイディオムは多様・豊富で、長年勉強を続けてもきりがないといえます。広く世に出ている翻訳書にも、文章の酷さにあきれるものがあります。一方分野によっては外国人英語の発信でも、内容さえ優れていればいいという見解もあるようです。しかし英米文学や英語学の分野では、専門家であれば英語論文を公表する際、信頼できるネイティヴ・チェックを受けることは常識で、また投稿、審査の段階でそれが条件になることも多いのが現況です。