以前の教員コラムの中では、私が英語の勉強を始めた頃のことを述べました。今回は文学との出会いを語りたいと思います。私が本物の文学的感動を経験したのはオリンピックが終わった1964年の暮れのことかと思い出します。その日の朝、母が妙にそわそわしています。何かと思えば、午後からテレビで『ハムレット』の放送があるので楽しみだということです。当時すでに児童書を卒業したつもりの生意気な子供の私は、シェイクスピアといえば『ロミオとジュリエット』のイメージくらいしかなく、それもセンチメンタルな恋物語だろうと半ば馬鹿にしていました。しかし母と一緒に見たローレンス・オリヴィエ主演の1948年作製のモノクロ映画にはある種の衝撃を感じ、認識を改めました。しかしながら、それで文学に開眼したわけではありません。原作のシェイクスピアは戯曲ですから翻訳でも普通の小説のようには読めません。ましてや400年前の英語の原文はさらに難解です。映画の台詞もほとんどが原作のままですが、字幕の援護で親しめたのです。大学では長らく原文を読むことが中心だったシェイクスピアにはなかなかなじめませんでしたが、生誕400年ころからしばらくして、徐々に録音や放送が、後には録画が普及するようになっていったと感じます。こうしてシェイクスピアは観たり聴いたりでも楽しむものとなりました。
当時他にも文芸物の映画がテレビで時々放送され、ディケンズの『二都物語』(1957年イギリス映画)も印象深く感じ、この時は翻訳で原作も読んでみました。フランス革命に関心を持ち始めたのもこのころです。ディケンズは「クリスマス・キャロル」や「オリヴァー・ツィスト」などから長編の『デイヴィッド・コパーフィールド』も読破しましたが、ほとんどが中野好夫氏の訳で、後に大学で原文を読んで印象がかなり違うことに気付きました。十代前半で読んだディケンズは中野氏のユーモラスな個性があふれた翻訳でした。また中野氏が東大教授を若くして辞め出版翻訳業に専念し、更には美濃部都知事擁立など、政治的な活動もされたことを後に知りました。
当時は昭和30年代の文学全集物の出版ブームが終わりかけていたようでしたが、私の家族は全集をセットで買うような教養も経済力もありませんでした。しかし戦後の日本では知的生活や娯楽が求められ、映画や小説が人々を集めていたようです。うら若き私の母親も映画は好きだったようですが、しょっちゅうは見に行けず、小説など読んでいると叱った19世紀生まれの厳しい祖父の下、本を買うこともままならなかったようです。当時母が持っていたのは、気づいた限りではエミリ・ブロンテの『嵐が丘』と、『風と共に去りぬ』くらいで、どちらも当時人気だった映画化作品です。母はその後も婦人雑誌や小説を読んでいたようですが、私ほどは本を頻繁に買わなかったので、私が学校に行っている間にこっそりと私の買った本を読んでいたようです。母は昭和年間に55歳で亡くなりましたが、晩年は比較的自由に文庫本などを買い、同年代の向田邦子さんなどを愛読していたようです。
私が夏目漱石の面白さを知ったのも「猫」や「坊っちゃん」のテレビドラマ化がきっかけだったかと思い出します。その後鷗外や白樺派を始め様々な小説を読みましたが、すでに述べた昭和30年代末の文学全集流行の名残を享受しました。同年齢のオリヴィア・ハッセーが主演した映画『ロミオとジュリエット』(1968年)に魅された一方、翻訳文学にも浸り、英文学よりもフランス文学やロシア文学に惹かれていました。今でも記憶に残っているのはロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』、ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』、ドストエフスキーの『罪と罰』、そしてトルストイの『戦争と平和』、これも優れたソ連映画(1967年)がきっかけでしたが、翻訳とはいえ10代半ばで大作を次々と読破しました。国文学も高校の古文と同時に現代作家にも関心を持ちました。高2の時に同級生から大江健三郎という新進作家の『万延元年のフットボール』を勧められたことを思い出します。この同級生は大学でロシア文学を専攻し、その後同窓会で会いましたが、新聞記者になっていました。
大学受験期になると、古文も現代文も日本のものが好きでしたので大学では国文学を専攻しようと思っていました。しかし母から将来の進路が教職くらいしかないとか、国文学なら趣味でも読める、などと示唆され、得意な英語を生かす英文学科に的を絞ることにしました。シェイクスピアは少し知っていて、ディケンズもだいぶ読んでいましたが、英米文学にはロマン・ロラン、ヴィクトル・ユゴーらフランス文学や、トルストイ、ドストエフスキーらのロシア文学に匹敵する作家はいないのではという思いもあり、また志望校を逃したこともあり、大学入学当初はモティヴェーションを失いかけていたと思い出します。しかしこの後英文学に関して最大の出会いがありました。ウィリアム・ブレイクと英詩の世界です。この先は20代のことで、またいつか語ります。