2014.01.17.
比較文化学科大内 憲昭

朝鮮半島の分断を38度線から見る NO.2

写真1)「ウイキペディア」から借用。1953年7月27日午前10時、休戦協定は朝鮮人民軍代表兼中国人民志願軍代表南日(写真向かって右側)と国連軍代表ウィリアム・K・ハリソン・Jr(写真向かって左側)により署名された。

戦争の当事国であった韓国は、李承晩大統領が停戦に反対であり「北進統一」を主張し、停戦協定への署名を拒否しました。朝鮮が停戦協定を平和協定に代えるためのアメリカとの2国間交渉を主張するのには、それなりの正当性があると言えます。

写真2)現在の「調印場」。手前が写真1の南日が署名した机。
朝鮮の国旗が立てられている。調印当時のまま保存されている。©Noriaki Ouchi

写真3)朝鮮人民軍将校による板門店解説 ©Noriaki Ouchi

写真4、ここがいわゆる38度線と言われる板門店。中央の3棟の青い建物は「国連軍」が管理し、その両隣の銀色の建物は北朝鮮が管理しています。その向こう側の大きな建物は南側の「自由の家」。参観者は3棟の青い建物の真ん中の建物(本会議場)に入ることができます。これらの建物の中央を「軍事分界線」が通っています。言い換えれば、これらの青いあるいは銀色の建物は「軍事分界線」上に立っていることになります。南北からの参観者は別々に入り、この中だけは「軍事分界線」を超えることができます。因みに「38度線」と「軍事分界線」は一致しているわけではなく、「軍事分界線」は38度線に沿って入り組んで朝鮮半島を横断しています。

写真4)板門店。中央の青い建物は「国連軍」が管理。©Noriaki Ouchi

(No.3へ 続く)