私のさつま芋つくりは、関東学院女子短期大学(現関東学院大学人間環境学部)時代に遡ります。「鎖国」(食糧自給)との関係で江戸の農業を研究テーマの一つとしていることから、宮崎安貞(『農業全書』)のさつま芋つくりに関心を持ち、その農法で、関東学院女子短期大学のグラウンド(今の関東学院六浦こども園)に畑を作ったことに始まります。

今、金沢文庫キャンパスの食堂裏に作っているお芋畑は、11月の文学部ホームカミングデーに向け、子どもたちへのプレゼント用のものです。昨年は、それ以前の丸2年間ホームカミングデーがなかったため、畑が荒れ(カヤの根っこがはびこっていた)ゼミ生の力では耕せませんでした。

2013年5月 畑のカヤの根取りに苦戦するゼミ生(3年生)

空手道部の先輩(耕運機姿)とご友人(カヤの根を抜いている)による畑作り

2013年6月 耕運機にはカヤの根っこがびっしり絡まっています。とても暑い日でした。

しかし、1か月遅れてのお芋つくりは11月初めには間に合わず、育ちが遅れ、思案の挙句、農園経営の先輩(陸上部OB・元横浜南農協理事)に頼み、大きなお芋を分けてもらって、子どもたちにプレゼントしました。

2013年11月4日 小ぶりながらもお芋ほりを楽しむ子どもたち

今年(2014年度)は、昨年の轍(てつ)は踏むまいと、早くから苗床を作り、5月には100本のお芋を植えることができました。11月初めの頃には育ったお芋を掘ることができると思います。

2014年5月 基礎ゼミ1年生とアドバイザーグループ2年生による芋苗植え

2014年5月27日 基礎ゼミ1年生・アドバイザーグループ2年生と指導の大学院生

6月4日現在のお芋

今年はどうかなー

【矢嶋道文の「鎖国」研究と農業】
「鎖国」と農業の関係を探求しています。「鎖国」の成立要因は多様ですが、その内の大きな一つが「農業」生産力です。つまり、食糧が自給できない限り「鎖国」は成立しません。江戸時代は「長崎貿易」があり、オランダと中国との貿易関係を保っていましたので、完全な自給自足生活ではありませんでした。そこで矢嶋は主な輸入品の一つであった漢方に着眼し、果して「輸入漢方」がどれほど国民(江戸時代はおよそ3000万人でした)に必要であったのかを調べることにし、研究中です。たとえば、江戸時代の農学者である宮崎安貞『農業全書』
(1697年・元禄10年)は、高価な輸入漢方(生薬)を買うのではなく、農家で栽培することが「国益」になるといっています。また、『農業全書』に序文を書いた貝原益軒は『大和本草』(1715年・正徳5年)の中で、医者としての立場から、漢方(生薬)の見極め方、作り方(製剤)、飲み方(処方)などについて詳しく論じています。

果たして「輸入漢方」なくして国民生活が成り立たなかったのか否かについては、日本に古くから伝わる民間生薬(オオバコ、ゲンノショウコ、ドクダミなど)との関連を細かく調べないといけないのですが、そう簡単に結論の出るものではありません。