去る5月16日(金)、恒例の本学英語英米文学科主催、ITCL(インターナショナル・シアター・カンパニー・ロンドン)第41回日本公演『ロミオとジュリエット』が金沢公会堂にて上演されました。関東学院大学主催公演としては2008年の『ハムレット』以来7年目、当初の秋公演招聘も含めば9回目を数えます。文化的行事がなかなか評価されない昨今ですが、英語英米文学科ではここ数年様々な努力をしてきました。学科の予算内で費用を工面し、担当教員が過重な負担で準備する状況は変わっていません。しかし結果として今回も無事公演を実現できたことは慶賀に堪えません。
『ロミオとジュリエット』は2009年以来5年ぶりの上演で、今回も400名近くの来場があり盛況でシェイクスピア劇への関心が改めて確認されました。この公演もITCLの特徴が存分に発揮され、最小限の出演者(今回は6人)、最小限の舞台装置によりシェイクスピアの同時代を髣髴させ、その一流の演技に、観客はあっという間の160分間を夢のように過ごしたと思います。
劇が始まって間もなく観客はアフリカ系俳優のロミオを目の当たりにしました。昔からオセローなど、シェイクスピア劇に非白人の当たり役はありますが、最近はこのロミオ役(ロンドン・グローブ座公演、DVD 2010年)や、『お気に召すまま』(ケネス・ブラナー監督2006年映画)のような喜劇にせよ、ごくヨーロッパ的な主役もアフリカ系俳優が演じています。もともとイタリアやフランスその他英国から見た外国を舞台とし、また古代や中世の時代背景も採用している、時空的に普遍的なシェイクスピア劇ですが、最近は演じる方も多民族化しつつあるようです。彼らの英語に特定のアクセントを感じることはありません。音楽やオペラ、バレエの世界に限らず、質の高い芸術が国際化するのは当然の流れのようです。シャイロックやオセローに人種の悲劇が描かれ、キャリバンに当時の英国人の異人種意識を垣間見るシェイクスピア劇ですが、上演のトレンドとしては人種や国籍を越えつつあるのが現状と言えるでしょう。
英文学専門の立場から見れば、『ロミオとジュリエット』はシェイクスピアの初期作品で、4大悲劇には入れません。その理由は、この作品がいわゆる「運命悲劇」であり、4大悲劇の最大の特徴である人物造形がやや薄い故でもありますが、それを補って余りある特徴、みずみずしい詩的抒情性があります。台詞の多くが詩的描写や比喩にあふれ、いわば宝石や貴金属がちりばめられたタペストリーのような印象を与えます。例えば二人が始めて言葉を交わし、わずか14行で口づけしてしまう場面(1幕5場)を見てみましょう。
ROMEO [To JULIET.]
If I profane with my unworthiest hand
This holy shrine, the gentle sin is this:
My lips, two blushing pilgrims, ready stand
To smooth that rough touch with a tender kiss.
JULIET
Good pilgrim, you do wrong your hand too much,
Which mannerly devotion shows in this;
For saints have hands that pilgrims\’ hands do touch,
And palm to palm is holy palmers\’ kiss.
ROMEO
Have not saints lips, and holy palmers too?
JULIET
Ay,pilgrim, lips that they must use in prayer.
ROMEO
O, then, dear saint, let lips do what hands do;
They pray — grant thou, lest faith turn to despair.
JULIET
Saints do not move, though grant for prayers\’ sake.
ROMEO
Then move not, while my prayer\’s effect I take.
この印象的な部分は英詩としてはまさに恋愛詩の形式、ソネットの形をとっているのです。シェイクスピア劇の多くの部分が1行10音節で弱強調のブランク・ヴァース(無韻詩)という定型詩からなることはよく知られていますが、ここではソネット式に脚韻が踏まれ、また4行のquatrain(四行連)3つと2行のcouplet(二行連句)1つという、英国風ソネット独特の形式を完全に体現しています。この後もソネット形式を続けて恋愛の雰囲気が盛り上がりかけるところ、乳母の台詞でそれが中断されるという展開です。抒情的に美しい台詞が至る所ちりばめられているだけでなく、形式的にもこのような絡繰りがあるこの作品は、英国ルネッサンスの代表的『ソネット集』の作者でもあるシェイクスピアの面目躍如といえましょう。
今回の上演で、数少ないキャストを工面して、黒子のように出てきた白い仮面をつけた影のような存在はなんでしょう。舞台芸術的にどう定義するのかは知りませんが、原作のト書にもない、演出のポール・ステッビングズ氏の、運命をつかさどる存在の表現のようです。このような演出も上演ごとに注目されます。
今回は人気の演目でしたから、本学の学生の視聴が多かったのは当然ですが、広報が手薄であるにもかかわらず、一般の来場者が過去最多となり、特にご高齢の方々にお楽しみいただけました。この催しが金沢区地域への文化的貢献となり実際に役立っていることを実感する瞬間でした。このような文化的な行事を楽しむ気風を本学内外、特にこの地域に醸し出せることを念じつつ、来年以降もこの企画をぜひ堅持していきたいと思います。
終演後は俳優たちと学生たちの交流も見られました。
英語英米文学科教授 安藤潔