近現代のイギリス政治外交史を研究している私には、これまで研究対象にしてきた大切な人物たちが大勢います。今回は、パーマストン子爵(1784~1865)を紹介しましょう。
パーマストンは、アイルランド貴族の家に生まれ、22歳で下院議員に当選して以来、亡くなるまで58年以上にわたって議員を務めました。
彼の名を不滅にしたのが、1830年から4つの内閣で外務大臣として見せた、その外交手腕でした。外相歴は15年におよび、これは今日でも破られていない最長の在任記録です。彼の時代に、イギリスはロンドンでたびたび国際会議を開き、ヨーロッパで起こった地域紛争を解決し、「パクス・ブリタニカ(イギリスによる平和)」とも呼ばれました。
しかしその裏では、清王朝下の中国(アヘン戦争・アロー号戦争)やインド(大反乱)を力ずくで屈服させ、イギリスが帝国主義に本格的に乗り出した時代でもありました。
パーマストンが最初に外交的な成果をあげたのが、ベルギーに独立を与えたことでした。こちらはその条約に記された彼自身の署名です。
(写真②)
彼は後に首相になり、在任中に81歳を目前に亡くなりましたが、その最期の言葉はロンドン会議でこのベルギー問題を議長として取り仕切っていたときの「第98条はこれで結構です。次に移りましょう」であったと言われています。亡くなるまで外交に尽くした人生でした。
そのパーマストンが各国からの外交官らを招いて、饗宴を開いたり、秘密の外交交渉を行ったロンドンのピカデリーにある邸宅です。
(写真③)
その功績をたたえ、彼の銅像がウェストミンスターの国会議事堂のすぐ隣にある議会広場にたたずんでいます。
(写真④)
ヨーロッパ国際政治に一時代を築いたパーマストンは、今でも後輩の議員たちを見守っているのでしょうね。