先回のコラム(2016年3月)に続き、イギリス政治外交史を専攻する私が研究対象にしてきた人物について紹介いたしましょう。今回は、国王ジョージ4世(1762~1830、在位1820~1830)です。まずは肖像画から。
謹厳実直な両親の下で育ったジョージは、その反動から、自堕落な生活を繰り返す皇太子でした。やがて従妹のキャロラインと結婚するものの、初めから関係はうまくいかず、愛人と暮らす日々が続いていました。生活はいつも借金まみれで、議会に肩代わりをしてもらったことも再三ありました。やがて1820年に国王に即位しますが、キャロラインとの離婚騒動は一大スキャンダルとなり、国民からも政府からも信頼を失いました。
1830年6月に彼が亡くなったとき、新聞は「誰がこんな国王のために涙しようか」と、さんざんにこき下ろしたほどでした。
ここまでお読みいただくと「なんでこんな人物を研究しているの?」と疑問を持たれたかもしれませんね。しかし現在のイギリス王室はもとより、その芸術や文化全体にとっても、ジョージ4世の存在は必要不可欠だったのです。
歴代国王のなかでも一、二を争う審美眼の持ち主だった彼は、それまで質素だった母の屋敷を壮麗な宮殿に建て直しました。今や王室の中心となっているバッキンガム宮殿です。こちらはその時の設計図ですね。
さらに父の蔵書を大英博物館に寄贈し、それが元となって今日に至っているのが大英図書館です。そして、自身の絵画コレクションも寄贈して政府に造らせたのが、イギリスが世界に誇る国立美術館(ナショナル・ギャラリー)なのです。
王立美術院(ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ)の後見人でもあった彼は、後進の若い画家の育成にも余念がなく、附属の美術学校の授業のために本物のラファエロやレンブラントも無料で貸し出しました。こちらは美術院院長が身につける頸飾(くびかざり)です。ジョージの横顔が掘られていますね。
それまで細い路地ばかりだったロンドンに大街路を建設し、今日の姿に変えたのもまたジョージでした。こちらは彼が摂政時代に改造した摂政公園(リージェンツ・パーク)の設計図ですね。
皆さんもロンドンを訪れた際には、是非これら「国王陛下の夢のあと」を見学してきてください。
【参考文献】君塚直隆『ジョージ四世の夢のあと』(中央公論新社、2009年)