2020.02.22.
比較文化学科相原 健志

そこに隠れていた〈問い〉

 本学に着任し、目の前に追われていたらいつのまにか夏期休暇に入り、ふとしたらもう秋学期が終わり…と、1年が過ぎつつあります。今回は、この1年で少し気づいた、あるいは気づかされたことを書いてみようと思います。
私が専門とする学問の1つに、文化人類学(以下、人類学)というものがあります。どういった学問なのかを説明すると非常に長くなってしまうのですが、その最大の特徴といえば、やはりフィールドワークであろうと思います。昨今では「フィールドワーク」という語が市民権を得たと言えばよいのか、人口に膾炙されたと表現すべきなのかわかりませんが、ともあれそこかしこで耳にします。他方で、人類学におけるフィールドワークにはそれなりの条件があり、例えば、現地の人々と同じことをして暮らすこと、現地の言語を用いること(つまり、通訳なし)、できれば2年、最低でも1年は連続して現地で過ごすこと…などの要件があります(このあたりに関心のある方は、ブロニスワフ・マリノフスキ『西太平洋の遠洋航海者』(増田義郎訳)講談社学術文庫、2010年や、日本文化人類学会監修の『フィールドワーカーズ・ハンドブック』世界思想社、2011年などをご覧ください)。こうした形式的条件はあるのですが、何より重要なのは、現地の文化・社会、現地の人々の考え方に直接、自分の身体全体を用いて触れ、どっぷりと浸かり、それらの言語化しづらい部分も汲み上げて言語化しようとすることなのです。
すると、突拍子もないのですが、私はこの約一年、本学である種のフィールドワークをしてきたような気分になります。本学に来る前は、海外含めてさまざまな大学で学生として過ごし、その後には三つの大学で非常勤講師として過ごしていました。当然それぞれの大学には特色があるのですが、専任として過ごすと、学生の考え方・雰囲気などに、今まで以上にそれこそ「どっぷりと浸かり」ながら仕事をすることになります。そうして否応にでも気づかされるのは、一口に〈大学〉といっても、その内部には小さな差異が――これをもはや「小さな」と形容することははばかられるくらい――ひしめき合っている、と。私自身が中高を過ごした横浜という土地にいるにもかかわらず、あるいは大学という空間で長く過ごしてきたにもかかわらず、そこには差異が隠れていたことに、ある意味では再び、気づかされたのです。
いま私は人類学という学問を窓にして、自分が生きている日常を見返してみることでそこに潜んでいる「小さな」差異に気づき、実はそれが自分の日常にとって重要なものであることに(再び)気づいた、と述べました。しかし、これは決して人類学に限定された話ではないでしょうし、決して大げさな話でもありません。「文化」というものが、人間が生きていることすべてに関わるものであるならば、「文化研究」を始めるための窓は、まさに私たちの――いま比較文化学科で学んでいる学生の、またこれから私たちと一緒に学ぶ方々の――何気ない日常の世界にだって、隠れているわけです。実は自分が当たり前だと思っていたことが実は別の土地や時代ではそうでないかもしれない。はたまた、同じ時間と空間を生きているはずの家族・友人・隣人にとってはそうではないかもしれない。一度そう想像してみると、自分には当たり前に見えて等閑視していた事柄がどのように成立しているのか。この当たり前の事実に思えるものはいつ成立したのか。そもそも他者との差異にいかに向き合うべきか、などなど――自らの日常を振り返ることで、文化研究を始めるための〈問い〉が、実はすぐそこにだって潜んでいることに気づくのではないでしょうか。
そういえば、本学が他大とどういった差異があるのかと気になった人もいるかもしれません。人類学ではフィールドワークは最低一年、と先に述べましたが、厳密には私は本学に来て一年経っていないので(細かすぎます?)、現段階では何か具体的に書くことは控えておきましょう。それはまた、別の機会に…。