2013年7月27日、朝鮮半島は朝鮮戦争で「停戦協定」を調印してから60周年を迎えました。
北緯38度線に沿うように軍事分解線が引かれていますが、北朝鮮の開城市から約7キロ程度南に板門店があります。板門店は朝鮮と米韓が軍事的に対立する最前線です。私は、北側からその地をこれまで、おそらく10回以上訪れています。今年も5月に訪れ、昨年も会った朝鮮側将校と2時間程、まだ訪れる観光客のいない時間に、懇談をしました。2010年9月3日、北側からは何回も訪れている板門店を比較文化学科のワールドスタディで南側から初めて参観しました。その年は、ワールドスタディから帰国してすぐに訪朝し、9月15日に、今度は北から同じ場所に行くことになりました。
先ず、下の写真1と2は北側からの板門店への入り口です。写真1は平壌から約170キロ、高速道路を走り到着すると、参観者は車を降りて、板門店の解説を駐留している朝鮮人民軍将校から受け(写真3)、その間に身分チェックが行われます。降りた車は写真1の反対側にあたる写真2へ移動し、そこで簡単な身分確認を受けた参観者が車に乗り込み、板門店に向かいます。数キロあるのですが、一面農場の田畑が広がっています。秋には、道端に唐辛子を干す赤い絨毯と実った稲の黄色という、ここが軍事的対立の最前線であることを一時、忘れてしまいそうな長閑な風景があります。今年の5月に訪問した時には、写真1の入り口の所で子供たちが、今、流行しているローラースケート靴を履いて遊んでいましたが、さすがに人民軍兵士に叱られていました。
写真1)北の板門店入口① ©Noriaki Ouchi
写真2)北の板門店入口② ©Noriaki Ouchi
写真3)朝鮮人民軍将校による板門店解説 ©Noriaki Ouchi
下の写真4は「停戦協定調印場」。写真中央の石碑には次のように記されています。
「1950年6月25日、朝鮮で侵略戦争を挑発したアメリカ帝国主義者は英雄的な朝鮮人の前に膝を屈し、この場所で、1953年7月27日、停戦協定に調印した。」
写真4)停戦協定調印場の入り口 © Noriaki Ouchi
写真5)停戦協定調印場の全景 ©Noriaki Ouchi
停戦会議場も停戦協定調印場も北側にあります。
(No.2へ 続く)