2011.12.09.
比較文化学科安井 聖

クリスマスの意味―罪人を愛する神

イエス・キリストの教えを建学の精神としている関東学院大学では、毎週大学礼拝を行ない、学生の皆さんに聖書に触れていただく機会を提供しています。大学礼拝ではオルガンの伴奏にあわせて賛美歌を歌います。でもたまにキリスト者のミュージシャンをお招きして、礼拝の中で現代風にアレンジされた賛美歌を聴かせていただきます。先日は神山みささんが来てくださり、はじけるようなギターの音にのせて、心に響く歌を歌ってくださいました。

12月になり、キャンパスにはクリスマスツリーが飾られました。クリスマスはイエス・キリストの誕生をお祝いする祭りです。イエス・キリストはわたしたちに神の愛を伝えるためにお生まれになった、と聖書は語ります。神がわたしたちを愛していてくださるその愛が、どんなに大きくて、力強いものであるかを、イエス・キリストは身をもってあらわしてくださいました。
「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ローマの信徒への手紙第5章6〜8節)。
わたしはこの言葉を読むたびに、励まされます。希望と勇気をいただけます。神はどんな時にもわたしを愛していてくださる。わたしが弱い時にも、自分の不甲斐なさ、愚かさに打ちのめされているような時にも愛していてくださる。そんなどこまでも広がる、誰にでも届く神の愛をわたしたちに見せてくださったのが、イエス・キリストです。

聖書はクリスマスにお生まれになったこのお方を、「神の独り子」と呼びます。そしてその神の独り子がわたしたちのためには死んでくださったのだ、と告げます。わたしたちが正しい人間だから、善人だからではありません。わたしたちが罪人であった時すでに、神はご自分の独り子の命を犠牲にしてでもわたしたちを救おうとなさったのだ、神はそれほどまでにわたしたちを愛していてくださるのだ、と語りかけます。
こんなふうに神に愛されている自分であることに気づかされるたびに、わたしは思い直すことができます。弱くて不甲斐ない自分だけど、わたしも自分を愛し受け入れよう。そして、傷つくことを恐れないで、あの人に心を開いてみよう。小さくても、自分にできる限りの愛と思いやりをもって、あの人と接してみよう。